科学・政策と社会ニュースクリップ

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博士論文の意味〜博士号は「負のスティグマ」になるのか

 STAP細胞事件は、STAP細胞の存在に疑問が呈される事態になっています。理研からの公式発表がない段階では、ニュース以上のことは論じられないので、ここでは述べません。

 理研の調査がどうなろうとも、今回の事件で明らかになった問題があります。それは、博士論文、学位論文とは何か、ということです。

 小保方博士の博士論文をきっかけに、同じ研究室の学位取得者の論文がコピペであったことが明らかになっています。おそらく芋づる式にコピペ論文が明らかになるでしょう。

 これに対する意見は様々です。

  • 博士論文のコピペはいけない
  • 博士論文はどうせ誰も読まないのだから、コピペなんて些細な問題
  • 博士論文より投稿査読論文のほうが大事
  • イントロダクションなんて論文の本質ではない

 やや問題がこんがらがっているので、解きほぐすと、まず言えるのは、博士論文だろうと、会社の文章だろうと、公になるものに、文章やデータの盗用や剽窃はあってはならないし、ルール違反だということです。

 学術研究に厳格な著作権を適用するのは、研究を縛るのでよくないと思いますが、引用もなしに他人の著作、創作物を剽窃、盗用することは学術の分野であろうと、どこであろうと許されることではありません。ここははっきりさせておかないといけません。


 それを踏まえた上で、博士論文がどうあるか、という部分に関しては、様々な考えがあるのは理解できます。

 そもそも博士論文とは何なのでしょうか。

 学校教育法では、博士について以下のように述べています。

第百四条  大学(第百八条第二項の大学(以下この条において「短期大学」という。)を除く。以下この条において同じ。)は、文部科学大臣の定めるところにより、大学を卒業した者に対し学士の学位を、大学院(専門職大学院を除く。)の課程を修了した者に対し修士又は博士の学位を、専門職大学院の課程を修了した者に対し文部科学大臣の定める学位を授与するものとする。

これだけでは何か分からないので、別をみます。

大学院設置基準(昭和四十九年六月二十日文部省令第二十八号)

(博士課程)
第四条  博士課程は、専攻分野について、研究者として自立して研究活動を行い、又はその他の高度に専門的な業務に従事するに必要な高度の研究能力及びその基礎となる豊かな学識を養うことを目的とする。

(博士課程の修了要件)
第十七条  博士課程の修了の要件は、大学院に五年(五年を超える標準修業年限を定める研究科、専攻又は学生の履修上の区分にあつては、当該標準修業年限とし、修士課程(第三条第三項の規定により標準修業年限を一年以上二年未満とした修士課程を除く。以下この項において同じ。)に二年(二年を超える標準修業年限を定める研究科、専攻又は学生の履修上の区分にあつては、当該標準修業年限。以下この条本文において同じ。)以上在学し、当該課程を修了した者にあつては、当該課程における二年の在学期間を含む。)以上在学し、三十単位以上を修得し、かつ、必要な研究指導を受けた上、当該大学院の行う博士論文の審査及び試験に合格することとする。ただし、在学期間に関しては、優れた研究業績を上げた者については、大学院に三年(修士課程に二年以上在学し、当該課程を修了した者にあつては、当該課程における二年の在学期間を含む。)以上在学すれば足りるものとする。

学位規則(昭和二十八年四月一日文部省令第九号)

(博士の学位授与の要件)
第四条  法第百四条第一項 の規定による博士の学位の授与は、大学院を置く大学が、当該大学院の博士課程を修了した者に対し行うものとする。
2  法第百四条第二項 の規定による博士の学位の授与は、前項の大学が、当該大学の定めるところにより、大学院の行う博士論文の審査に合格し、かつ、大学院の博士課程を修了した者と同等以上の学力を有することを確認された者に対し行うことができる。

(論文要旨等の公表)
第八条  大学及び独立行政法人大学評価・学位授与機構は、博士の学位を授与したときは、当該博士の学位を授与した日から三月以内に、当該博士の学位の授与に係る論文の内容の要旨及び論文審査の結果の要旨をインターネットの利用により公表するものとする。
第九条  博士の学位を授与された者は、当該博士の学位を授与された日から一年以内に、当該博士の学位の授与に係る論文の全文を公表するものとする。ただし、当該博士の学位を授与される前に既に公表したときは、この限りでない。
2  前項の規定にかかわらず、博士の学位を授与された者は、やむを得ない事由がある場合には、当該博士の学位を授与した大学又は独立行政法人大学評価・学位授与機構の承認を受けて、当該博士の学位の授与に係る論文の全文に代えてその内容を要約したものを公表することができる。この場合において、当該大学又は独立行政法人大学評価・学位授与機構は、その論文の全文を求めに応じて閲覧に供するものとする。
3  博士の学位を授与された者が行う前二項の規定による公表は、当該博士の学位を授与した大学又は独立行政法人大学評価・学位授与機構の協力を得て、インターネットの利用により行うものとする。

 博士号取得者とは、自立して研究活動を行えるか、あるいは高度な研究能力及び豊かな学識を持った人であり、博士論文の審査、試験に合格することが必要となります。そしてその博士論文は公開されます。

 しかし、何をもって「自立して研究活動を行える」か、「高度な研究能力及び豊かな学識を持」ったとするのかまでは書いておらず、博士論文にどのようなものを要求するかは、各大学院にまかされるわけです(もちろん、文科省が許さないといけません)。

 ある大学、専攻では、投稿査読論文を書けば「自立して研究活動を行える」とみなし、投稿査読論文をつなぎあわせたもので博士論文とするし、ある専攻では、しっかりとした博士論文を要求するわけです。いろいろ話を聞くと、旧帝大などの古くから博士課程をもつ大学院では、厳しい要求をする傾向があるようです。諸外国でも、投稿査読論文をはりあわせたような博士論文があるようです。医学の博士はかなり審査基準がゆるいことはよく知られています(詳しくは「医者ムラの真実」参照)。

 ただ、たとえ博士論文が投稿査読論文のつなぎあわせだとしても、「大学院の行う博士論文の審査」(いわゆるディフェンス)が必要なわけで、私の周囲をみる限り、多くの大学でこの部分は相当厳しくやっているようです。論文博士しかもっていない私ですが、学位審査会のときにはそれなりにツッコまれたのを覚えています。

 いずれにせよ、現在の博士号とは、「自立して研究活動を行える」ことなどを示すだけであって、ある種自動車免許のようなものです。公道を運転できることと、車を乗りこなすことが違うように、博士号を持つことと、研究者として成功することは違うということです。博士号=出発点という認識が広がったのは1990年代とされており、大学院重点化などもからみますが、歴史的背景はここでは述べません(「博士漂流時代」で簡単にふれていますので、興味のある方はご参照ください)。


 今回のコピペ問題は、博士論文が大学、専攻によってまちまちであるという部分を突いた問題であるがゆえ、「まあ、そこまで目くじら立てなくても」という意見が出てきたのでしょう。

 しかし、たとえ博士論文をそこまで重視していなかったとしても、それを課したのは学位を与えた大学院、専攻です。重視していないというなら、投稿査読論文の貼りあわせをゆるせばよかったのに。

 しかも公開が前提です。私は「博士論文は国会図書館に納められるのだよ。だからちゃんとしたもの書かなきゃいけないよ」と言われてきたのですが、国会図書館云々は別にして、知的生産物を軽々しく扱う大学院、専攻から、果たして「自立して研究活動を行える」人材、「高度な研究能力及び豊かな学識を持」つ人材が生まれるのでしょうか。

 イントロダクションの軽視こそ問題だ、という人もいます。イントロダクションは自分の研究を科学史のなかでどう位置づけるかという重要な部分であり、それを他人の言葉をまるまる使うというのは、自分の研究にオリジナリティがないと言っているようなものであり、ありえない、という声もあります。

 これでは院生が「必要な研究指導を受け」ていないことになり、大学院設置基準を満たしていないことになります。それ以前に、重要でなければ、見つからなければコピペでもOK、という、姿勢は、社会人としてもアウトです。そんな人材を進んで採用しようとする企業や組織があるでしょうか。

 博士号はこのままでは「取っても食えない足の裏の米粒」ではなく、「取ったら食えない」負のスティグマになってしまいます。


 博士論文は重要でない、コピペは問題だけど、些細なことだ、というような意見は、日本の大学院が公的「ディプロマミル」(学位生産工場)であることを公言しているようなものです。

 早稲田大学が徹底的な調査をするのは当然として、日本の大学院が「ディプロマミル」でないことを、科学コミュニティが厳しい姿勢で見なおさなければ、失われつつある博士という学位への信頼は取り戻せないでしょう。そして、雑な大学院を許容し、職のない博士を大量に生み出した政府の責任が問われることになります。

 博士が負のスティグマになりつつある今、博士の就職問題を解決する方法は、博士号など関係なく個人を、人物をしっかりみてください、と言うしかないのなかと思ってしまいます。それはある種皮肉なことではありますが…

(追記)
 ことは日本国内にとどまりません。日本の博士号が信用ならないとなれば、研究助成の際に不利益を被ったり、あるいは外資系企業などが日本の博士号取得者の優遇をやめたりするかもしれません。

(米国型)博士号は免許のようなものだとよく言いますが「持っていれば少なくともこれくらいのことはできるだろう」という人材としての質の保証な訳ですが、今回は「日本には学位持ってても引用等に関する最低限の作法をしらない人がいる」ということが国際的にばれちゃったかもしれない、というのが当面の大問題で、今後は学位を持ってないと信用されないだけでなく(対応を誤ると)「日本の学位」は信用するな、という評価になってしまう崖っぷちにいる気がしますね。 @enodon @sociablenumber

(春日匠氏のツイート5:28 PM - 27 Mar 2014