科学・政策と社会ニュースクリップ

科学政策や科学コミュニケーション等の情報をクリップしていきます。

研究は大学だけのものじゃない〜twitterで考えた

最近はtwitterでいろいろな方と交流するのがとても刺激なのですが、今日も刺激を受けました。

ポスドクや博士経験者が「政府から独立した科学者集団」「科学研究に共感をもちながらも、これを突き放した中立的な視点から科学論文を読みとく読み手」になれば、社会の側にとってもプラスではないかと。それはどんな職業についてもできること。

で、「政府から独立した科学者集団」「中立的な視点から科学論文を読みとく読み手」に必要なのは情報のオープンアクセス化。公文書、政策情報も含めて。ポスドク問題で政府がすべきことがあるとすれば、情報のオープンアクセス化なんじゃないかと思ったり…

といったことをつぶやきました。

議論はそこから、大学の外で、普通の人も研究をしてしまえばよい、という話に。

情報公開の行きつく先は、研究そのものを一般開放しちゃうこと。記者会見の開放と同じで、大学とか研究機関が独占してた研究という行為を普通の人ができるようになれば、大学も変わるし、社会も変わる。

大学などが研究を独占してるから、皆しがみつきたくなる。だったら、大学じゃなくても研究できればいい。ウェットな研究だって、貸しラボみたいなところでやったっていい。

貸しラボの話がさらに発展しました。いまは使われていない酒蔵を改造したら、という話に…北関東のほうに多くあるらしいです。

酒蔵はいいアイディアかもしれないですね。レンタルラボ(株)実験スペース貸します、1か月XX万円から。ピペットマンXX円、マウス飼育XX円、継代培養サービスXX円。P2指定済み。論文投稿指導サービスXX円より…みたいな

この議論は、以下のように発展していきます。

ウェットラボはいきなりは無理にしても、会員制研究スペース、論文読めます、本読めます、アドバイスします、みたいなところを作ったら、はたして重要ある?

研究室よりもっと拘束力がなくて、出入りがもうちょっと自由で、論文読めてちょこちょといろいろできて、指導は基本的にしないけど、院生のTAなんかがアドバイスしたりして…私立大学とかが商売にすればいいかも。

こういうことを考えていくうちに、次のようなことを思うに至りました(これは私のオリジナルではなくて、米本昌平氏が唱えています)

研究って基本は面白んですよ。でなきゃ何万人もの人がながいことやりつづけたりしないですよね。でも、研究続けるにはしんどい思いしてPIになるしかなくて、そうでなければ、使えないとか言われながら、別の道探さないといけない。

PIか別の道か、ではなくて、スポーツにアマチュアとして楽しむ人がいるように、研究にもアマチュアとしてやる、という道があってもいいんじゃないかと。博士の就職問題で、研究が楽しい、という要素を語っているところをみたことないし。

市民が研究をするようになれば、日本の知のレベルは向上するし、社会が抱える様々な問題に取り組む人も増えます。行政や政治の在り方を監視する人も、科学の面白さを伝える人も増えるでしょう。これが知本主義、知的社会です。

いろいろな課題はありますが、知を尊び、知を生かす社会を目指したいとの思いを強くしました。

追記
米本さんが中央公論1999年4月号に書かれた言葉。

「研究という基本的権利を、いまほとんどの人は職業研究者に託している もしのこの権利を個々人が自ら行使しようとしたらどうなるか 科学のあり方、大学のあり方に根本的変化が生じてくるに違いない」

「この種の個人の研究活動が組織化されれば、既存の権威を監視しチェックする知的なNGO(非政府組織)として重要な社会的機能を担うことになるだろう」

「面白がりながらも切実にこつこつと研究活動を続ける知的な市民が、自ら問題を発掘し、研究調査し、解決策を模索していく形こそは成熟した民主主義社会における政治参加の理想形だと思う」