すでにお伝えしていますが、この度私は、拙書
博士漂流時代 「余った博士」はどうなるか? (DISCOVERサイエンス)
- 作者: 榎木英介
- 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
- 発売日: 2010/11/16
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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にて、科学技術ジャーナリスト会議の「科学ジャーナリスト賞」を受賞いたしました。
まったく思っていなかったことであり、驚くと同時に、これまで活動を支えてくださったみなさんに、心より感謝申し上げます。
この本による受賞は、私個人の力というより、博士号取得者を取り巻く環境がいかに厳しい状況におかれているか、ということを示すものであり、今回の受賞により、この問題に少しでも社会の関心が高まることを願っています。
しかしながら、3月11日以来世界は一変してしまいました。
たくさんの人の命が失われ、多くの人が家族、財産、コミュニティを失った、あまりにも甚大な震災。これに加え起こった原発事故。
もはや博士号取得者の進路をどうするかということを議論するどころではないという状況です。震災後、「博士漂流時代」のamazonでの売上は、ピタっと止まってしまいました。
本の中で私は、「社会で博士を活用しよう」と述べましたが、その社会が揺らいでいる中、博士の活用どころではない、というのが正直なところだったのだと思います。
そんな中、東北大をはじめとする被災地にいる博士、ポスドクのみなさんが、いかに大変な立場に置かれたのかを考えます。批判を浴びた
34 学会(44 万会員)会長声明 日本は科学の歩みを止めない 〜学会は学生・若手と共に希望ある日本の未来を築く〜
ですが、この提言で真っ先に若手研究者のことを触れていることは、意味があることだったと思います(これを社会に向けて発信する提言とするかは別として)。
震災後に「博士の活用」を言い続けてもよいのか、そんな戸惑いの日々を過ごしています。
そんな中、私は次のようなことを考えています。
「博士漂流時代」の最後の章は、博士号取得者がいかに社会に貢献していくか、ということについてページを割いています。社会が博士を活用しようということも重要ですが、それだけではいけないと思ったからです。
震災後の世界で、博士はより積極的に社会に出ていなかればならない、博士の力を社会に活かさなければならないと強く思います。
復興のために持てる知を投入すること、放射線をめぐる情報の混乱の中、情報を分かりやすく解説すること。こうしたことはすでに多くの博士たちがはじめています。
私は、これに加えて、社会の中で研究する博士がもっと必要だと思っています。
大学でも政府でもなく、市民として、市民によりそい、専門情報を読み解く博士。
特定の利害から離れ、良心に従い発言する博士。
そんな博士がもっと出てほしい。
ポスドクは、そんな博士を生み出す可能性を大いに秘めている…そう思うのです。
もちろん、現実は厳しく、そんな博士が生きていく道は限られているように見えます。「市民科学者」はまだまだ少ないのが現状です。
しかし、今、人々が求めているのは、そういう博士ではないかと思うのです。
科学者や科学コミュニケーションへの厳しい批判は、科学者が自分たちのために働いているのではなかった、科学が自分たちの方向を向いていなかったという失望の現れなのだと思います。
そういう博士は、今までは例えば「万年助手」という形で大学や研究所にいました。ある種爪弾きものだったわけですが、今そういう博士の存在が、逆に科学への信頼をかろうじてつなぎとめているという皮肉な状況が起こっています。
任期制の競争的環境で、そういう人達は大学や研究所にいられなくなりました。
だからこそ、職業的研究者に限らず、社会のなかで研究を、そうでなくても論文を読むことのできる体制を整え、研究者の多様性を確保することが、今科学コミュニティに求められているのではないかと思うのです。
いわば「オルタナティブ」な博士…その道は簡単ではありません。時間がかかるかも知れません。
けれど、それが失われた科学への信頼を取り戻す道だと思うのです。
これからは、そうした博士を生み出すために、さらに活動を続けていきたいと思っています。これが、「科学ジャーナリスト賞」受賞者としての私の使命、責任なのではないかと、思っています。
皆様にはこれからも、叱咤ご鞭撻のほどどうぞよろしくお願い致します。