科学・政策と社会ニュースクリップ

科学政策や科学コミュニケーション等の情報をクリップしていきます。

ブログのアウトリーチ性

 お返事が遅くなって申し訳ありません。つぶやきおやじさんからは質問のお答えをいただいている。また別の項できちっと触れさせていただく。

 ブログをアウトリーチとして用いないことについて、仙台通信さん、CoSTEPさん、5号館のつぶやきおやじさんから貴重なご意見をいただいた。

アウトリーチ活動の「場」としてのブログ
http://d.hatena.ne.jp/Namba/20051114#1131976202

さまざまなアウトリーチ活動
http://nosumi.exblog.jp/2196610/

 つぶやきおやじさんの学会でのお答えも、アウトリーチは他の手段でやるべきである、ということだった。

 確かに、さまざまな問題がからんできて、そう簡単に研究成果を公表できないのは理解できるし、文章中心のブログより、さまざまな媒体のほうが有効のときもあるだろう。

 お二人のご意見は非常によく分かる。

 ただ、それでもブログにも使いようはあると思う。

 森山さんがもう6年前に書かれた
研究者の方々へ、ウェブ日記のすすめ
http://www.moriyama.com/popular_science_node/backnumber/1999/PSN990629.html#essay
 は、今まで何度も引用させていただいた。それを読むと、こんなことが書かれている。

【生の科学の営みを】
思うに、いま科学離れなるものが言われるに至った理由の一つには、科学者なる人がいったいどんな人なのかさっぱり伝わっていないことがあげられるだろう。なんとかを発見しました、というアウトプットは出て来るが、どのような過程を経てそれが出ていったのか、いったい現場では何をしているのかがさっぱり出てこなくなった。つまり科学という過程そのものはすっかりブラックボックスと化してしまった。そこが「科学ってなんだかよく分からない」というイメージの遠因となったのではないかと思うのだ。そこで私は、研究者の方々の生の姿を伝えるメディア・表現方法として、ウェブ日記を提案したいのである(強引だけど)。

そんなものは啓蒙ではないと言われそうである。確かにそのとおり。啓蒙のためにはもう一つ、知識をいかに伝えるか、というポイントが重要になる。だがこのような、人間的な営みを生の形で伝えていくこともまた重要だろう。こうだろうかああだろうかと考え悩むことも科学の姿であるなら、なおさらである。

 つまり、研究内容そのもののアウトリーチ的な活動は、おっしゃるとおり厳密さも要求されるし、ブログだけが手段じゃない。もっと有効な手段もある。

 ただ、研究する喜び、悲しみ、その他研究者として生きる姿をもうちょっと出してもいいと思うのだ。その手段としてブログは使えると思う。

 長い間かかった研究の論文が通った時の喜びはどんなものなのか、この研究をやると何がわかるのか、どうしてやっているのか、何が面白いのか、そういうingの生の声ってなかなか聴けるものじゃない。

 そういう知的興奮(している人の様子)をもっとブログで読みたいなと思うのだ。

 卑近な例になるが、私の弟はカナダで生理学の研究をしている。ブログを書いているのだが、研究の内容が比較的多く出てくる。研究の内容自体にはそれほど触れていないが、日々の研究の喜びや悲しみ、学会に行ったり同業者と会話したときの興奮などを率直に書いている。
http://blog.livedoor.jp/dendrite/

 もちろん、外国にいるから、比較的自由にいろいろなことを書けるのかもしれないが、研究の内容は分からなくても、研究が面白くて仕方ない、という様子が分かる。

 別に弟をほめているわけじゃなくて、研究内容に触れずとも、研究という営みの魅力を伝えることはできるし、その手段として、研究者にはブログを活用してほしいなと思う。あくまで要望だが。