科学・政策と社会ニュースクリップ

科学政策や科学コミュニケーション等の情報をクリップしていきます。

情報を届けるということ〜サイエンスウォーカー論

 年度末ということで、忙しく、寝る間もないくらい(事実です)。ようやくひと段落したので、宿題をかたづける。

 主題は「サイエンスウォーカー」について。

 まず、サイエンスウォーカーが何かということから。

 オフィシャルなページがないので、報道などから。

 雑記帳:「デートに使える科学ネタ」文科省が無料誌作成によれば、文部科学省が「デートに使える科学ネタ」を集めた無料情報誌「サイエンスウォーカー」を110万部、7000万円かけてつくり、角川書店の雑誌東京ウォーカーなどに綴じ込むという。

 最初は東京新聞で報道されて(現在リンク切れ)メルマガにも紹介したが、「へえ、おもしろいんじゃない」という意見が出る程度だった。それが上記の毎日の記事で「え、7000万円もかかるの?」と知った人たちから、無駄遣いではないかという声があがった。

 いつもお世話になっている5号館のつぶやきさんも

文部科学省また失策

と題して、この企画がまったくの無駄遣いだ、と、びっくりするほどのお怒りの声をあげたので、え、どうして、と驚いてしまった。

 つぶやきさんのところに「実物を見ないで批判をするのはおかしい」などと書き込みをしたら、叱られてしまったので、あらためてブログに書きます、と言って撤退した。で、ようやく時間ができたので、こうして「宿題」をやっているわけだ。


 ここ数日、実物を見た人からさまざまな声があがっているが、それを見て違和感を感じた。本当は私だって、「こりゃなんだ」と批判したいし、そのほうがらくだ。しかし、今巷で話されている議論があまりに的を外しているので、あえて擁護にまわらざるを得ない。

 ここで、サイエンスウォーカーをめぐる皆さんの意見と、それに対する感想、反論などを、箇条書きにして書いてみたい。

 なお、私自身、最初は「科学だってデートに使える」程度しか考えていなかったのだが、サイエンスライター森山和道さんらと議論して、思いもよらなかった論点が見えてきた。ここで森山さんに謝辞を述べたい。


●論点1 科学をデートに使うことは低俗か
 最初、つぶやきおやじさんが怒っているのをみて、「科学をデートにつかうのはそんなに低俗かなあ」と思ってしまった。水族館やプラネタリウムなどはデートスポットだし、ちょっとした科学ウンチクはネタとして使えるし、私としては、デート結構、と思ってしまった。エロパワーは知の原動力となりうるし(苦笑)。

 ただ、ウンチク系男子は好かれるが、ウンチク系女子は好かれない、というジェンダー問題を指摘する人もいて、たしかにそういう点は考えないといけないなあと思った。

 また、相手の反応も考えずにウンチクをまくしたてる「理系クン」は軽蔑される、という事実もあるので、ネタは使いようということ。

 ネタをどう料理するかは個人にまかされる。いずれにせよ、ネタ提供、場の提供は悪いことじゃない。

 しかし、もはやこれはマイナーな論点でしかない。


●論点2 内容
 内容に関しては、商品や映画をネタにしたもので、私にとっては全然面白くない。多くのみなさんにとってそうだろう。

 ただ、よく考えてほしい。記事にもあったが、科学に興味ない若い層を振り向かせたい、というのが、今回の企画だ。このブログを読むような、コアな科学マニアを相手にしてはいないのだ。

 東京ウォーカーを手にとってぱらぱらとめくる若者が、違和感なくあのページにたどり着き、ちょっとでも関心をもって、そのうち何人かが科学館に足を運んだら、効果あったと言えるのではないか。

 今回の内容がそういう効果を生み出したかは別に評価しなければならないが、科学ファンから「面白くない」と言われたところで、それはちょっとずれた批判だ。

 「角川がうなって、ぜひのせてくださいと思うような優れた内容のものを作れ」という声もあるが、対象を誰にするかで、「優れた」とする内容が変わってくる。

 科学コミュニケーションで抜けがちな視点は、受け手の視点だ。発信することは容易いが、誰に届けるかが難しい。

 これは次の論点にもつながるが、pdfやpodcastなどでものを製作することはできても、それを対象とする人に見てもらい、聴いてもらうのは容易いことではない。

 ネットを見ない人だったら、届かない。

 今回のサイエンスウォーカーが対象としているのは、M1と呼ばれる20歳〜34歳の若年男性層だという。

 この層はテレビもみない、新聞も読まない、ネットすらしない。この層へアプローチするのはきわめて困難だという。

 そういう層の科学への興味をあげるというのは、相当困難だろう。北大CoSTEPの活動を手にしたM1層がどれくらいいたか知りたいが、私が参加した神戸のサイエンスカフェも、参加者は中高年中心で、私と同世代のM1層はあまりみうけられなかった。

 実際にM1にサイエンスウォーカーが届いたかという批判はあると思うが、情報を目的の人たちに届けるという視点が議論からすっぽり抜け落ちているのは残念だ。

●論点3 7000万円は使いすぎか
 今回7000万円は無駄遣いだ、という声があがった。角川に丸投げなんじゃないか、あれは300万円で作れる、ぼったくりだ、という声も出ている。7000万円もあれば、サイアスとかなくなってしまった雑誌をすくえたかも知れないとの意見も。

 私ももしかして丸投げなんじゃないかと思うし、制作費は安いと思うが、多くの皆さんが、大きな勘違いをしている。

 7000万円は制作費じゃない。16ページのフルカラーの冊子を110万部まく、ということを考えると、濡れ手に粟のぼろもうけとまではいかないことが理解できるのではないか。

 110万部に7000万円だから、一冊70円弱。これを個人がやると考えよう。取材して編集して、フルカラー印刷をし、それを輸送したり、どこかに置いたりするわけだ。そんなことたった70円でやることは無理だ。郵送代だけで破産する。

 一冊70円じゃなく、30円でできる、という批判はあってもよい。けれど、皆さんが言っているのは、一冊3円くらいで配れ、といっているようなものだ。オーダーが違う。

●論点4 この企画は意義あるのか
 7000万円かけるかは別として、今回のような企画をやる意義があるのか。

 もともと科学に興味のない層を振り向かせる必要があるのか。科学は科学好きが関心を持てばいいだけだ。M1層なんて科学に興味を持つはずがない。科学のよい面ばかりみせている。科学至上主義だ…

 私は、科学コミュニケーションはもっとハードな社会問題に切り込んでいくべきで、楽しい科学だけじゃ不十分だと思っているほうだ。

 ただ、ハードな問題だけやれ、といっているわけじゃなくて、楽しい科学、面白い科学だってあったほうがよいと思っているし、だから北大CoSTEPの活動や、科学カフェの活動に注目している。

 今回の企画で科学館やカフェに来たお客さんを相手にするのが、科学コミュニケーターじゃないのか。科学コミュニケーターだって、客がこなければ商売上がったりだ。無関心層を振り向かせることと、関心ある層を相手にすることは、相補的なんじゃないのか。

 また、出張授業やサイエンスマップなどは、無関心層に関心を持ってもらうという意味で、サイエンスウォーカーと同じ趣旨を持つように思う。

 そういう意味で、CoSTEPの人たちがサイエンスウォーカーを全面否定するのが悲しい。もっと安くできる、こうすればいい、と建設的な批判ならまだしも…


 今回の7000万円を無駄というのなら、CoSTEPの年間1億だって無駄ではないのか、と書いたのは、同じ科学コミュニケーションのカテゴリー内で、どちらが無駄かという論争をしても不毛だと思ったからだ。

 私はどちらも意義があると思っている。研究費の無駄なども含めて、世の中には億、兆単位の無駄がある。そういう無駄はあまり実感ができなくて、7000万円や1億円をどっちが無駄だ、あっちが無駄だと言い合うのは、悲しい。

 もちろん、それらのお金が無条件でよい、というつもりはさらさらなくて、厳しい目を向けるのは当然だが、もっと大きな無駄にも同様に関心をもってほしいと思う。

 以上散漫になってしまったが、サイエンスウォーカーーについてあれこれ書いてみた。

 この企画、これだけ話題になれば、それなりに成功ともいえるかも知れない。本当にいろいろなことを考えさせてくれた。

 森山さんをはじめ、つぶやきおやじさんやブロガーの皆様に深く感謝する。