おくればせながら、去る6月11日(日)に第一回科学技術政策研究会を開催したので、簡単にご報告させていただく。
当日は20名ほどの方々にご参加いただいた。雨が降る中お越しいただいた皆様に深く感謝する。
学会でポスドク問題に取り組まれている方、公的研究機関に所属されている方、政党のご関係者の方など、科学技術政策に関心のある方々にお集まりいただくことができ、中身の濃い議論ができたと思う。
講師はご案内したとおり、筑波大の小林信一先生。戦後の科学政策研究の流れや、科学技術政策に影響を与えた学者集団のこと、冷戦型科学技術政策とポスト冷戦型科学技術政策の相違点のことなどをご解説いただいたあと、長めの質疑応答時間をとり、ざっくばらんに様々なお話をしていただいた。
ここには書けない話もあるが、要点をかいつまんで書く。
科学技術が政策として認識されたのは大戦前後のころ。冷戦期は科学者のための科学技術政策であった。ポスト冷戦時代になると、イノベーション政策、科学技術公共政策が語られるようになり、科学技術が社会を支えるという考え方が強くなった。きっかけとして大きいのが、1999年のブタペストでの世界科学者会議だ。
つまり、冷戦を境にして、policy for scienceから、science for societyの時代になった。
このようななか、現在の科学技術政策は、各種のステークホルダーのアドバイザーが様々なことを言う、相互作用を基礎としたポリティカルモデルで作られている。このような時代では、科学技術政策を研究することは誰でもどこでもできるし、専門性さえも必要ないと言える。
ステークホルダーは多様で、ランダムであり、競争をしている、。その中で、ステークホルダーが意見を言う仕組み、チャンネルが重要だ。これがアドボカシーということで、NPOは社会の中にあるニーズを顕在化させる役割がある。
科学技術政策は、伝統的に意見を聞いてくれるので、意見を言っていくことが重要だ。
私たちのようなNPOが、モノをいっていくことはそういう意味で意義がある…
以上のようなお話を頂いて、とても心強く思った。もちろん上記は小林先生のお話を伺った私の見方であり、文責が私にある旨は明記させていただく。
今後も科学技術政策をウォッチし、意見を述べていく勇気を持つことができた。
一方で、ある参加者の方から、研究者は自らの社会での位置や、自分たちの主張が社会にとってどういう意味があるのか、研究者とは社会にとってどういう存在かといったことに言及することが少ない、その点が気にかかる、という指摘も頂いた。
自らが有利になるように主張していくことだけでなく、公共の視点を失うことなく、社会にとって自分たちがどういう存在かを意識することが、アドボカシーには不可欠な作業だ。そうでなければ、ただの圧力団体になってしまう。
アドボカシーとは、自分たちの主張を社会からの支援を得て政策に反映させようとする行為であると(勝手に)理解した。だから、独りよがり、利己的な主張は社会からの支持が得られず、力を持ち得ない。
ポスドクの就職問題などで言えば、就職口を確保しろ、と主張するだけでは、社会からの支援は得られないということだ。ポスドクが社会に出ることに、どういう効果、意義があるのかを示していかなければならない。
今回の研究会では、わたくしたちの社会での立ち位置を確認する意味で、とても重要な機会だった。また、科学技術政策に関心を持つ方々と交流を持つことができたのも意義あることだった。講師の小林先生には深く御礼申し上げる。
今後も機会を捉えて研究会を開催していこうと考えている。機会があればご参加くだされば幸いだ。
なお、今回の会は、財団法人倶進会様の支援を受けて開催させていただいた。倶進会様に御礼申し上げる。