科学・政策と社会ニュースクリップ

科学政策や科学コミュニケーション等の情報をクリップしていきます。

クライシスコミュニケーションとリスクコミュニケーション、そして科学コミュニケーション

Twitterなどをみていると、今回の震災に関して、「サイエンスコミュニケーター」への風当たりが強いような感じがする。

曰く、「フリップもCGも作れず役立たず」
曰く、「非常時に沈黙している。けしからん」

(上記はあくまで私の意訳なので、本当のツイートではない点をご注意)。

評判が高いのが、物理系を中心とする科学者など。そういう人がいれば「サイエンスコミュニケーターなどいらない」という声も。

正直「フルボッコ」という感じだ。

この「サイエンスコミュニケーター」の定義が非常に曖昧で、定義を広げれば、様々な媒体で発言する科学者だって、フリップやCDを作る美術スタッフだって「サイエンスコミュニケーター」ではないかと思うのだが…自分を含めないで批判対象にできるという意味で、フルボッコされやすいのかもしれない。

人々が「サイエンスコミュニケーター」に求めていたものが何かも判然としない。池上さんのような解説を求めていたのにできなかったのが失望の原因なのか。それとも、原発のような科学と社会がコンフリクトを起こす問題に取り組んでこなかったことが原因なのか。

しかしながら、科学コミュニケーションが今回の震災及び原発事故に関して何ができ、何ができなかったのか、私も含め、非常に悩み、苦悩している。

Facebookなどでも議論が続いている。

そのなかで出てきたのは、緊急時の「クライシスコミュニケーション」と、平時の「リスクコミュニケーション」、そして「科学コミュニケーション」は異なったものであり、今はまだクライシスコミュニケーションの時期であるということだ。サイエンスカフェがすべて無意味なのではなく、「今は」それをする段階ではないいということだ。

クライシスコミュニケーションについては以下参照。

危機時における情報発信の在り方を考える 新型インフルエンザのクライシスコミュニケーションからの教訓(週刊医学界新聞第2853号 2009年11月2日)

健康危機管理時におけるクライシスコミュニケーションマニュアル

原発事故に関して言えば、今は東京電力や政府がクライシスコミュニケーションを行う段階。あまりうまくいっているとは言えないが。

ただ、その段階であっても、政府のクライシスコミュニケーションを受けて、それを解説したり批判したりする科学コミュニケーションは必要であり、今回の場合、早野龍五東大教授などが、自主的にその役割を果たしている。

しかし、臨時で、かつボランティアで行う人に頼る科学コミュニケーションは脆弱で、たとえば健康上の問題を抱えてしまえば終わってしまう。

それを平時から、持続的に行う組織が日本には不足しており、それが「サイエンスコミュニケーターに失望した」に繋がっていると思う。

ただ、サイエンス・メディア・センターはそのなかでも非常に重要な取り組みであり(そしてその「中の人」は、私もよく知るサイエンスコミュニケーターの教育実践にずっと関わってきた人たちだ)、ひとつの希望だと思う。

クライシス段階は続いている。その対応のために「サイエンス・コミュニケーターとしての役割を捨てた」と言った方もいる。

クライシスが終わったら、様々なことを反省し、今後のあり方を検討する段階が来るだろう。