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最先端・次世代研究開発支援プログラム・騒動から何を学ぶべきか

最先端研究開発支援プログラム、課題決定遅れに対する反応

最先端・次世代研究開発支援プログラムの「若手・女性研究者等を対象とした支援策」課題決定が遅れていた問題が解決したようだ。

1月28日付の科学新聞によると、1月20日に次世代プログラム運営会議が開かれ、

採択内定者のみに「国民にも分かりやすい」内容の研究概要を求めることで合意した

という。

早ければ2月初旬に開催する総合科学技術会議の本会議で、課題が決定する。

科学新聞によれば、20日の運営会議では、有識者議員から「不満が続出」し、「とにかく早く採択を決定すべきで、リーズナブルな人数に絞って再提出を求めるべき」「今回採択される研究者は、20年後、30年後の日本の先端を担う人達であり、こういう曖昧な基準(国民的わかりやすさ)で研究に支障を来してはいけない」等、発言が相次いだという。

これより、研究概要の再提出は採択内定者にのみ求めることとなったという。

日経バイオテクの報道によれば、再提出された書類は、審査に影響を与えないという。

一時は和田政務官(すでに科学技術担当から外れている)がすべての応募者に再提出を求めると発言し、科学コミュニティ内に不安が広がったが、それは回避された。

こうして「一件落着」となったわけだが、この騒動が浮き彫りにした問題は大きい。

まず挙げられるのは、政治と科学の距離の取り方だ。

そもそも最先端・次世代研究開発支援プログラムは、自民党政権末期に景気対策として補正予算で導入されたものであり、始まりから政治主導だった。政権交代で予算は圧縮され、若手、女性研究者向けの研究費が導入された。

そういう意味で、極めて政治的な予算ではあったが、問題は審査に政治が介入したことだ。

予算を出す、出さないは、国費を使うのだから、国民が決める、つまり、国民の代表者たる政治家が決定するのは当然だ。どの分野に分配すべきかも政治の問題だ。

しかし、審査そのものに政治家が介入することが、果たして妥当なことなのか。

政権交代後、科学と政治との距離は明らかに縮まったが、政権も、科学コミュニティも、まだ距離をどのように保つか、迷っているように見える。

政権交代が常態化している欧米各国の事情を踏まえつつ、政治と科学がどのような関係であるべきか、まだ模索していく必要があるのだろう。そういう意味で、今回の騒動を検証することは重要だ。

次に挙げられるのは、「国民に研究内容を分かりやすく説明する」とはどういう事なのかという問題だ。

和田政務官が審査にストップをかけたのは、明らかに後出しジャンケンであり、混乱を招いたという点で問題はある。しかし、研究内容を国民に理解できる表現で説明すべき、というのは、政権交代以来各所で言われてきたことだ。第4期科学技術基本計画にも盛り込まれようとしている。そういう点で、和田政務官の行動は、政府の方針に従ったものであったとも言えるのだ。

研究者の本分は優れた研究を出すことであり、国民に分かりやすく説明することは時間の無駄、という声はまだまだ多い。たしかにそういう面はあるだろう。

しかし、どの分野の研究を推し進めるのか、というのは、国費で研究を行う以上、国民の選択に従うのが当然であり、政治的な事項だ。最終的な判断は選挙という形で国民がすることになる。「素人に何が分かるか」という声が聞かれるが、素人が意思決定をするのが民主主義なのだ。

ただ、素人の集まりである政府の決定に専門家の関与は不可欠であり、説明責任は国費を分配した政府にある。政府が研究者に分かりやすい資料を要求するのはある種理にかなっているとも言える。課題決定後に全員に資料を求めるのは問題だとしても、今後は最初から「分かりやすい説明」資料が求められるだろう。

結局これも政治と科学コミュニティの距離の取り方の問題であるわけだが、今後こうした「説明責任」の要求は減ることはないだろう。

その際、科学コミュニティはどのように対応するのか。

説明の「専門家」を設けることで、研究者の負担を減らすのか、研究者自身に説明を任せるのか。どこまで説明すればいいのか。誰に向かって説明すればいいのか。

今回の騒動は、政府の対応を批判するだけにとどまらない論点を提示したといえる。


さて、最後に言いたいのは、政府には今回の経緯を「分かりやすく」説明してほしいということだ。政治も研究も、透明性が重要ということだ。もちろん、研究成果そのものではなく、研究費配分に至る過程のことではあるが。