科学・政策と社会ニュースクリップ

科学政策や科学コミュニケーション等の情報をクリップしていきます。

科学コミュニケーションへの期待に応えるために

 科学コミュニケーションに対する期待が高まっているのを感じる。

 昨年の「事業仕分け」の際、多くの研究者が、社会や政治とのコミュニケーションをあまり考えてこなかったことに気づき、科学コミュニケーションが重要だという声が、研究者自身から聞かれるようになった。

 第3期科学技術基本計画(2006年〜2010年)でも、科学コミュニケーションは重視されており、振興調整費で北大、東大、早稲田大に科学コミュニケーションの講座ができるなど、じわじわと認知度が高まってきた。サイエンスカフェが全国各地で開催されるなど、状況も変化してきた。サイエンスカフェは講演会とそんなに違わないものも多く、問題は山積している。

 なお、このあたりの状況については、内田麻理香 さんの新著が詳しい

 それでも、関係者の努力もあり、着実に浸透してきたといえる。

 しかし、科学コミュニケーションはまだマイナーな存在であり、特に現場の研究者には認知度も重要性も理解されていないのが現状だ。私たちの実感でも、政府の掛け声とは違い、現場は冷めているように感じていた。

 ところが、「黒船」到来だ。

 あの「事業仕分け」がそんな状況を吹っ飛ばしてしまった。twiterをみると、この数年間の動きをまったく知らない人が、「科学コミュニケーターが必要だ」「そういう部分にお金を使え」ということを言い始めている。うれしいやら悲しいやら、複雑な思いを感じたが、状況は一変した。

 こうした状況を受けて、国家戦略担当の政務官津村啓介氏が、科学コミュニケーションの重要性をさまざまな場で強調しはじめている。

 私が出席した大阪でのタウンミーティングでも、津村氏は以下のような発言をしている。
http://www8.cao.go.jp/cstp/gaiyo/syutyo/20100320osaka/gijiroku.pdf

なぜ科学・技術コミュニケーションがかくも不足しているというふうに私が思うようになったか、少しだけご紹介をしたいんですが、やはり決定的だったのは事業仕分けの一連の議論で、ノーベル賞学者さんが出てきてかえってどうだったのかということも含めて非常にあの時期はホットでした、良くも悪くも。しかし、あの一連の出来事という
のは起きるべくして起きたことであって、非常にシンボリックな国民と科学者、あるいは政治家、この関係を象徴した出来事だったのかなというふうに思っているんです

 このような認識のもと、津村氏は総合科学技術会議の第6回基本政策専門調査会で、
科学技術コミュニケーション」の重要性についてという文章を公表している。
http://www8.cao.go.jp/cstp/tyousakai/seisaku/haihu06/tsumura.pdf

 ここで津村氏は

透明性(何が起きているか知ってもらう)
コミュニケーション(出会い、語り、突っ込みあう)

 という二つのアプローチの必要性を強調している。そして、第4期科学技術基本計画に「科学技術コミュニケーション」の重要性を明記してはどうか、と提案している。

 こうした科学コミュニティや政府側からの期待の高まりに対し、科学コミュニケーションに関係する人たちの反応はやや鈍いように感じている。

 それを感じたのが、新しい公共市民キャビネットに誕生した「科学・技術と社会部会」
http://sites.google.com/site/sciencetrustjapan/sts

に参加する科学コミュニケーション団体の少なさだ。参加団体が少なく、注釈つきでの発足となった。声掛けはしているそうだが、かなりの割合で断られているという。

 もちろん、市民キャビネットへの不参加イコール科学コミュニケーションが政治や社会に関心が薄い、というわけではないが、事業仕分けや現在の科学技術政策をめぐる状況に対し、科学コミュニケーションの関係者、実践者が発言している場面はやや少ないように感じている(あくまで私の主観なので、杞憂であればよいのだが)。

 科学コミュニケーション関係者が、科学コミュニティや政治の動きに冷ややかなのは、もう一つ理由がある。

 昨年12月15日に開催された基本計画特別委員会(第4期科学技術基本計画)(第10回)
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu13/gijigaiyou/1291046.htm

 で、阪大CSCDの小林傳司教授が、以下のような発言をしている。

それから、3点目、これは概要の文章とも関係しますが、右側の「社会と科学技術のイノベーションとの関係を深化させる」というカラムの中で、1の「社会・国民と科学技術イノベーションとの連携強化」というところにある2つ目のところですが、「大学等や公的研究機関、博物館・科学館等が科学技術の成果等を分かりやすく伝える『科学技術コミュニケーション活動』等の推進」となっております。これは、英語に翻訳して海外に出す場合には、この表現は恥ずかしい文言だと思います。つまり、今どき科学技術コミュニケーション活動を、「成果等をわかりやすく伝える」などという言い方で表現すると、20年以上前の議論に戻ってしまいます。本文のほうは、双方向的コミュニケーションとか、そういう文言がありますから、せめてここは「博物館・科学館等が科学技術について国民との間で行う双方向的な『科学技術コミュニケーション活動』等の推進」というような文言にしていただいたほうがよいかと思います。ひたすらわかりやすく正しい知識を説明するだけでコミュニケーションができると言われていたのは80年代、90年代の話でありまして、今、それでは無理であるというのは先進国の共通の認識です。概要版は色々なところに出回りますので、そこの表現は是非ご修正いただきたいと思います。

 つまり、科学コミュニケーション側の懸念としては、科学コミュニティや政府が、国民に自分たちの仕事の重要性を納得させて、支持(とお金)を得るための手段として、科学コミュニケーションを利用しようとしているのではないかということだ。

 これでは、現場で地道に活動している人たちが冷ややかになるのも分かる。

 しかし、だからこそ、科学コミュニケーションはより積極的に、自らの意見を発信していかなければならないと思う。

 政治も含め、科学・技術と社会の間には様々な問題が横たわる。科学コミュニティと社会の利害が対立する場面は多い。科学者側に立って、理解増進、予算アップを主張するのももちろん重要な仕事だ。しかし、それだけではない。科学から少し距離を置き、「叱咤激励」するのも重要な仕事のはずだ。

 今後科学コミュニケーションに投じる予算も増える可能性がある。

最先端研究予算の5億円は科学コミュニケーションに
http://scienceportal.jp/news/daily/1004/1004022.html

 こうした予算を、単に「国民にご理解いただく」ためだけに使わせないためにも、科学コミュニケーション関係者の自覚と行動が重要になってくる。

 関係者とはなにも、職業的な「科学コミュニケーター」だけのことではない。

 研究現場を経験し、今は科学コミュニティの外側にいる人や、内田さんが言われるように、普通の市民も、生活のそれぞれの場面で「疑う力」を発揮し、科学・技術と社会のよい意味での緊張関係を築いていくことができる。

 科学コミュニケーションに対する期待にこたえるとは、そういうことなのではないだろうか。