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医学部VS理工系 twitterを通じて考えた

2月14日、インターネット上のミニブログtwitterで議論が起こった。

きっかけは、藤沢数希氏の以下のような発言だ。

日本の知的能力の高い人がお医者さんや弁護士にどんどん配分されるのは社会的には大きな損失。起業して新しい価値を作り出したり、科学技術の発展に貢献した方がいい。

http://twitter.com/kazu_fujisawa/status/9038241572

これに対し、経済学者の池田信夫氏が答えている。

職業免許の「仕分け」を
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51376580.html

これらに対しさまざまな意見が語られ、私もその流れに参加した。私自身、理学部の大学院を中退し医学部に入りなおしたので、当事者として思うところがあったからだ。すでにこの欄で触れた話題であるが、改めて考えてみたい。

問題はなかなか根深い。

報道などによれば、成績の上位層が医学部を志望する傾向は、以前から受験界では常識化していた。高校によっては、成績上位者に本人の希望によらず医学部受験を促すということも行われていると聞く。

受験関係者によると、その理由は将来への展望、収入などだという。

国立大学の医学部の多くは、東大の理科1、2類と同程度の難易度だ。東大の理1に入ったとしても、今や理工系では大学院修士課程に行くのは当たり前。その後博士課程に進んだとしても、「高学歴ワーキングプア」「余剰博士」と言われ将来の展望が見えない。企業に就職しても収入は文系より低い。それならば、卒業まで6年間かかっても医学部に行ったほうがよい、ということになる。

現実問題として、医師とその他の理工系の格差は大きい。

医師は卒後5年目くらいには年収が1000万円を超える。その後大幅には増えないと言われているが、1500万円くらいを推移する。

長時間の過酷な労働、訴訟リスクなどを考えれば、決して高いとは言えないと思う。

また、一部の「一流企業」では、もっと高額の収入をもらう者も多いから、そういう人たちからすれば薄給と言えるのだろう。

しかし、それはあくまで、「一流企業」や起業、フリーランスで成功している人との比較だ。

たとえばポスドクの年収は400万円程度なのであり、たとえ博士課程終了後医学部に入りなおしても、学費を差し引いても10数年でペイしてしまう格差がある。

同じような入試を受けるのにこれだけの差があれば、多くの人が医学部を志すだろう。巨大な経済大国の隣にある小国から、国境を超えるリスクを冒してでも越境する人が絶えないように(大げさか)。

こうした情報が高校生の耳に達しているのか、データは知らないが、「医者は食いっぱぐれがない」というイメージは、多くの高校生が持っているだろう。収入が多いという印象を持っている高校生も多いと思われる。

また、受験校は東大や京大、もしくは医学部への合格者数などがアピールになると言われており、生徒の意に反して医学部進学を勧める高校があるという。

不況が長引く中、地方の高校を中心に「医学部シフト」が起きたとも言われている。地方では東京などと違って産業も乏しいため、地元に残ってある程度の生活をするには医師になるのがよいとされているそうだ。

これとともに、東京大学の理科3類など最上位の医学部には、「一番だから」という理由で受験する者も多いと聞く。数学オリンピックでメダルを取ったような生徒が東大理3に入っているとも聞いており、医学部が成績優秀者を大量に抱えているのは事実のようだ。

しかし、研究など一部を除いて、医師の仕事に高度な数学力や物理力は必要ではない。ある程度の記憶力、理解力などは不可欠だが、患者とのコミュニケーション能力なども不可欠であり、受験で優秀だったものが必ずしも医師として優秀というわけではない場合が多い。

そういう意味で、もしほかの理工系の分野に行っていたら、活躍したかも知れない人たちが医師になることは、社会的損失であるかもしれない。あたかも事業仕分けの際に、特別研究員制度が、社会に出るべき人材を抱え込んでいると批判されたように。

では、この医師への偏在を解消すべきなのか、解消すべきとするならば、どのような方法を取ればよいのだろうか。

私としては、偏在はやはり解消すべきだと思う。医師にはとても優秀な人が多いのは事実だ。受験秀才が必ずしも優秀とは限らないものの、ノーベル賞受賞者の多くが受験秀才であったことを考えると、ある程度の相関はあるはずだ。今をときめくiPSの山中教授も医学部出身だ。

もちろん、それだけ優秀な人材が集まっているのに、日本の医学部出身者に一人のノーベル賞受賞者もいないではないか、という意見はあるだろう。確かに、それだけの人材がいるならば、もっと優れた研究が出てもいいはずだ。その原因は、優秀な才能を生かしきれない医学部の体制というのがあるだろう。

それも踏まえて、才能はもっといろいろな分野に散ってほしい。

しかし、問題はどうやってそれを解消するかだ。

前述の池田信夫氏は、医師を「資格認定」にしたほうがよい、という。医業をやりたいものがやって、あとから認定するということか。そうすれば、誰でも医業に参入できるので、医学部に入る意味はなくなる。

しかし、それでは医療の質の維持をどうするのかという問題があるだろう。経済学的にいえば合理的かもしれないが…医師や市民の反発も多そうで、現実的ではない。

ならば、医師の数を増やすというのはどうか。今医師不足が深刻であり、医師を増やすのは国家的な課題になっている。実際医学部の定員は増えつつある。

医学部の定員を大幅に増やせば、難易度は下がる。医学部進学に対する「成績優秀者」というステータスは消失する。最上位層は東大理1に進学するかもしれない。

しかし、理工系、産業界に行くべき人材がさらに医学部に吸い寄せられてしまう可能性を危惧する声もあるという。

では、医師の待遇を下げるというのはどうか。医師の年収を引き下げ、一般の理工系並みにすれば、年収格差が引き起こす医学部への人材流入を防ぐことができるかもしれない。下げた年収の分を、コメディカルの充実などに使用すれば、医療の充実化を図ることができるかもしれない。医師は決してお金だけで仕事をしているわけではない。ある地方病院で、ある科に数千万円の年収を用意したが、なり手がいなかったという話も聞く。収入よりきちんとした医療体制のほうが重要なのだ。

しかし、そうすると、医師内の人材偏在がより顕在化する可能性がある。今医療が崩壊の危機にあるのに、かろうじて持っているのは、医師たちの超人的な献身のおかげだ。(追記:本来はこうした違法な過重労働を是正するのが先決のはずだが、それに手を付けずに)年収の引き下げだけでは、そうした医師の心を萎えさせるかもしれない。訴訟リスクや労働の厳しさに割が合わないと、比較的楽な科に転科したり、転職する者が増えるかもしれない。医師は医師以外の仕事ができないので、転職する者は少ないのではないか、という声もあるが、医療系専門学校の講師や製薬企業の研究員など、医師の資格が生きる道はあるので、転職する医師は出るように思う。

最後に考えたいのが、理工系の職種の待遇改善だ。

失業の可能性さえあるポスドクのような不安定雇用を改善したり、お金を払いながら大学院に進学しないと学位が取得できない体制を改める、理工系出身者、技術者の企業内での地位を上げる、国家公務員における技官の地位を上げるといったことだ。青色発光ダイオードの特許訴訟のように、企業内技術者の反乱が相次いでいる。お金がすべてではないとはいえ、待遇や地位の改善も含めて改革がなされるべきではないだろうか。

医師の地位を相対的に下げることで、理工系に近づけることより、理工系の地位を上げたほうが自然なように思う。

とはいうものの、企業や社会も余裕がなく、急激な賃金の上昇や博士の雇用改善は望めないかもしれない。

以上、いろいろと考えてみた。はっきりとした結論が言えなくて、大変心苦しいが、一つだけ言えるのは、こうした医学部と他の理工系学部の格差を考えずに、理科は楽しい、科学は楽しい、理工系にいらっしゃい、と言ったところで、効果がないということだ。

確かに研究者も医師もお金だけで進路を決めたわけではない。多くは使命感や好奇心で進路を決めている。

けれど、お金も、そして何より将来の展望が、進路選択に大きな影響を及ぼすのは間違いない。キレイゴトだけで世の中は動かないのだ。

一つだけの解決策はないかもしれないが、上で挙げたようなさまざまなことを考え、実行に移していかないと、この国の将来は危うい。

昨年末に公表された成長戦略には「理工系博士の完全雇用」が明記された。批判も多かったが、理工系を志す者、現在理工系博士を目指している者にとって、希望が見えたという感想も多かった。

私も、理工系の世界と医師の世界を知る者として、この問題を考え続けていきたい。