科学・政策と社会ニュースクリップ

科学政策や科学コミュニケーション等の情報をクリップしていきます。

医療再生と理工系人材

 すでに、このメルマガでもご紹介しているが、9月19日に「医療再生フォーラム21」のシンポジウムで話をすることになった。

医療再生フォーラム21 第1回シンポジウム
〜 勤務医と病院の連帯をめざして〜
http://iryousaisei.jp/symposium.html

 医療再生フォーラム21は、

医療再生に不可欠な医師の連帯と運動を創造する。
公的医療費と研究教育費の抜本的な増額のための行動をよびかける。
公的視点に立って、医療人の熟議を基に、医療再生に向けた道筋を作っていく。

ことを目標に活動する団体で、私も呼びかけ人の一人になっている。

 著名な方々の中に、私のような者が名を連ねてよいのか躊躇した部分もあったが、医師として、医療を取り巻く諸問題をなんとかしなければならないとの思いもあり、参加させていただいた。

 普段行っている、ポスドク問題をはじめとする博士の就職問題や、科学技術政策の在り方を考える活動と、医療が抱える問題に何の関連性があるのか、訝しがる方もいらっしゃるだろう。

 私は医師なので、医療問題に関心があるのは当然だが、このメルマガも含めた普段の活動とは別の問題なのではないかと言われるのも無理はない。

 理工系離れが言われる中、優秀な人材が医学部に流れてしまうという問題がある。

 医療現場は大変厳しい状態だが、現段階では医師不足が問題となっており、活躍の場が見つからないポスドク問題とは質が異なる。

 そういう意見もあるだろう。確かに一見すると別問題と言えなくもない。

 しかし、私の中では、この二つの問題は同じ問題の別側面であると思っている。

 それは何か。それは、人の才能を有効に活用できていないシステムという問題だ。

 大学受験段階で、なぜ成績優秀な生徒が医学部を受験するのか(#ここでは成績優秀とは何かには踏み込まない)。

 理工系に進学することに将来展望が開けない現実、「シグナリング効果」、すなわち、医学部に進学することが、成績が優秀であることを示す手段となっていることなど、複数の理由が、受験生の行動に影響を及ぼしていると言われている。

 こうして成績優秀者を大量確保した医学部だが、人材を活かしているのか。

 医学研究には優秀な人材が必要だ。しかし、今医学研究に進む人材が激減しているという。新臨床研修制度によって、臨床研修が義務化され、医学部卒業後いきなり研究を始める者が減ったこと、大学病院離れが進み、大学院に入り研究を行う医師が減ったことなどがあげられる。ただでさえ、臨床医より給料が安い、人の命を救うほうがやりがいがあるといった理由から、医学研究者になる医師は少なかったのに…壊滅状態だ。

 臨床医になった者はどうか。

 医師不足にあえぐ過酷な勤務状況。日常のルーチンワークに追われて、研究もままならない。また、医師という仕事の多くは、独創性を発揮するよりは、決められた方法を逸脱しないことが求められる。そんな中、他学部がうらやむ才能を発揮できる場など限られている。

 ただ、一説には、厳しい医療環境の中、医療が崩壊しないのは、大量の成績優秀者が医師になっているからだという話もある。ずたずたな医療システムをかろうじて成績優秀者が持たせているというのだ。そう考えると、医学部に成績優秀な人材がたくさん入るのは、医療にとって悪いことではない。

 とはいうものの、たとえば数物系の才能を持った者を医学部が独占する必要性はあるのか。

 医療には、数物系の才能より、人生経験や人の話を傾聴することのほうが重要な場面もある。数物系の才能は、別の場所で発揮してもらったほうが、社会の利益につながるかもしれない。

 また、考えてみれば、システムの不備を個人の能力で補うというのは不自然なことであり、システムの不備を正すことが先なのではないか。

 やや散漫になったので、まとめてみたい。

 今日本では、医学部が成績優秀者を大量に引き受けるが、その才能を医療制度のほころびの維持に使っているということだ。

 そのおかげで、他の理工系には優秀な人材の不足がおき、基礎医学、医学研究者の枯渇が起きた。

 医師不足の解消のため、医学部の定員増が行われており、新しい医学部の新設も取りざたされている。

 これが、理工系人材をさらに医学部に振り向けることにつながるとしたら、 問題は複雑だ。

 このように、日本の研究の質は、直接、間接的に医学部や医師の動向に左右されているのだ。だから、医療を立て直すことは、日本の高度知的人材をどう有効活用するのか、という認識抜きには考えられない。

 私が医療再生フォーラム21に参加する意味があるのだとしたら、医療問題が人材の適材適所での能力発揮という問題の一つであるということを問題提起することではないかと思っている。