科学・政策と社会ニュースクリップ

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なぜ没になったか〜新聞に載せることの意義

 続き。

 「博士の意識をかえよう」という原稿は没になった。理由は「それでは研究を道楽としてやっているとしか思えないから、社会の共感は得られない」という感じのもの。

 そこで、以下のような原稿を書いた。

理工系博士の就職難 日本の科学技術の危機だ

 理工系の博士号取得者の就職難が言われて久しい。

 大学院を終え、博士号を取得した研究者の多くは、任期つきの研究員(ポスドク)として、いわば「契約社員」のように働く。不安定な立場だが、大学や公的研究機関の研究を担う戦力として活躍している。現在ポスドクの数は1万5千人を超えている。

 だが常勤の研究職は限られており、一人の募集に数百人もの応募者が殺到することもある。このため、ポスドクを繰り返さざるをえない者が増え、ポスドクの10%は40歳以上だ。他の職種に転職しようとしても、ポスドクは専門に固執しすぎて柔軟性がない、といった評価が広まり、ポスドクを毎年採用している企業は1%に満たない。年齢が高くなると、ポスドクの募集すら減ってしまう。

 私が主催するNPOのもとには、来月任期が切れるが、次の職が見つからないといった悲痛な声が寄せられている。

 政府もさまざまな施策を行っているが、就職難の解決には程遠く、ついに政府はポスドクは5年以内に限り、それ以降の支援は打ち切るとの方針を出した。現在就職難にあえいでいるポスドクはそもそもポスドクと呼べない、と定義し、問題をなかったものにしようとしている。

 私は、このままでは日本の科学技術研究は壊滅的な打撃を受けると危惧する。

 博士号を取得しても職に困り将来の展望が見えないのなら、優秀な人材の多くが大学院進学をあきらめ、やがて科学技術を担う人材が不足するだろう。実際東京大学理学部の大学院では、平成19年に博士課程が定員割れした。

 また、万能細胞の研究のように、医療や環境などの先端科学技術研究は現在厳しい国際競争にさらされており、高度な技能や知識を持った人材が必要とされている。高齢化や食糧問題など、解決すべき問題は多く、諸外国の政府機関や企業はポスドクを大量雇用している。しかし、日本ではポスドクを活用するどころか、切り捨てようとしている。

 最近政府は留学生を30万人に増やし、高度技能を持った人材を積極的に受け入れる方針を示した。国籍を問わずすぐれた人材を活用するのは当然だ。しかし各国間で人材獲得競争は激化しており、期待通りの人材が集まるとは限らない。これで競争に勝てるのだろうか。
 
 将来の科学技術のために、そして、今直面している科学技術の国際競争に対応するために、今関係者は立場を超えてポスドクの活用法を考えるべきだ。
 
 ポスドクを一人育成するのに一億円もの費用がかかるという試算もあり、国内にいるポスドクを活用しないのはもったいない。長らく研究に従事し、最先端の知識、技能を身につけたポスドクの能力は、様々な場面で役立つはずだ。ポスドクを雇用した経験のある企業はその能力に満足しているという調査もある。また、最近秋田県ポスドクを理科教員として採用し、好評だと聞く。様々な職種でポスドクをもっと積極的に活用すべきだ。

 資源に乏しい日本では、人材こそ資源だ。おりしも超党派で提出された研究開発力強化法案が国会で成立した。この法律では、ポスドクの積極活用が明記されている。この法律の成立を契機に、ポスドクの能力が社会に有効に活用されることを願う。


 掲載バージョンにかなり近づいてきた。これ以上は、掲載バージョンそのものになってしまうので、公開できるのはここまで。


 NPO内部でもかなり議論になった。


 企業に博士を押し付けるような解決策に共感は持てない。

 関係者が誰だかわからない。
  これでは駅前で労働環境の改善を!と言っている組合の人たちのシュプレヒコールと同じ印象をもってしまう

 限られた専門性だけでは使えない
  コミュニケーション能力や俯瞰力が必要だ

 外国で博士が使われている実態をもっと協調すべきだ


 とくに、博士の能力自体にふれるか、という点は大きな議論になった。

 周りに使えない博士を見ているから、とても博士を役立てようとは思わない。博士がプラスαの能力を身につけるべきだ、ということはいうべきだ、と。


 記者の方とのやりとりでは、博士の資質のことはよくわかるが、現段階ではその前の段階、問題を認識させたり、門前払いをしないで採用してもよいと思ってもらう段階にある、ということで、そこはあまりふれないということになった。

 ただ、それではあんまりなので、

「博士研究員も自ら積極的に活躍の場を求め、その状況に適応しつつ能力を発揮してほしい」

という一文をいれてもらった。


 また、
●博士課程を出てポスドクになる割合
●関係者とは誰か

を調べるように言われた。

 博士を出てポスドクになる割合は、調べたのだが調査がなかった。正確な調査がなされていないようだった
http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2007/020/chukan-hokoku.pdf

奥井さんの古いデータ
http://hakasenoikikata.com/posdoc_report01.html

http://www8.cao.go.jp/cstp/project/compe/haihu08/siryo3-2.pdf
約18%。

を参考に、1/4とした。

 なお、一億円の話は、フューチャーラボラトリ橋本さんの資産だが、本当か、という批判が多数あり削除。


 いろいろなやり取りを通じて、新聞に文章が掲載される意義を考えさせられた。

 読む人は誰か…博士の問題を知らない一般の人?
 掲載される価値のある文章とは…社会の多くにかかわる問題

 いろいろなやり取りを通じて、当事者が動こう、という私の今までの持論(共産党の会でも強調した)はとりあえず置いておいて、社会が変われ、という、ちょっと他力本願な話なった。

 ただ、「職をくれ」を強調しているのではなく、「活用しないともったいないよ」という、ポジティブな面をなんとか出そうとした。

 前にも書いたが、「博士?なんやそれ?そんなのあっちいけ!」から、「へえ、博士かい、ちょっと会ってみようかな」という雰囲気をまずは作りたい。

 昨今の博士議論は、あまりに博士の価値を暴落させすぎているように思う。そこまで使えないかい?

 もちろん変なやつはいるけれど、東大卒だって使えない人はいるだろう。

 だから、博士というちょっと変わっているけれど、それなりに使いようがある人たちがいること、それがちょっと不遇なこと、せっかくだから使うとお得だよ、ということを広く認識させたい。

「●●と博士は使いよう」

 これに納得がいかない、という人が多々いるのは承知している。とくにふだんから博士に接している人は、今更何を、と思うだろうし、周りの同僚の変なやつの顔を思い浮かべて、あんなのばかりじゃ社会は成り立たない、と思うかも知れない。



 博士の能力が不必要な分野はたくさんあるし、そこに無理やり博士を押し付けようとは思わない。

 ちょっと場を与えれば力を発揮し価値を生み出すかもしれないのだから、その場を作るほうが得ですよ、と言いたい。