昨日は、大学院重点化に至る国内外の動向を書いたが、具体性に乏しかったので、もういちど整理します。
参考文献は
- 作者: 江原武一,馬越徹
- 出版社/メーカー: 東信堂
- 発売日: 2004/08
- メディア: 単行本
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小林信一・筑波大教授執筆の「大学院重点化の功罪」を参照します。
現行の大学院は、1951年以降、新制大学の創設に伴い設置されました。1980年代に工学系の修士を中心に大学院が拡大しましたが、大学院独自の施設、教員がほとんど手当てされなかったといいます。
こうした中、大学院を大学の基幹的組織として位置づけるべきと考えられるようになりました。
1988年、大学審議会答申「大学院制度の弾力化について」が公表されました。これにより大学院の制度改革が可能となりました。参考資料が見当たらなかったので、平成元年度「我が国の文教施策」の記載参照。
その後、1991年5月に答申「大学院の設備充実について」、同年11月に答申「大学院の量的整備について」が発表されました。前者では、大学院スタッフの充実が、後者では、2000年までに大学院生を倍増させるという目標が設定されました。
大学院重点化の背景には、大学院のよる研究者の養成に対する期待という動機だけでなく、大学院を学術研究推進の中核機関として位置づけたいという動機もあったそうです。
それは、1980年代後半の「基礎研究ただ乗り」批判や、80年代のマイナスシーリングのため、国立大学の施設、設備が劣化し、研究費不足が慢性化するといった事態を打開するために、センターオブエクセレンス(COE)の育成が政策的課題になったからです。
大学院重点化は東大から始まりました。
東大のような有力大学の場合、大学院生が増えたのにも関わらず、施設整備が対応しておらず、大学院生が増えれば増えるほど、研究・教育スペースが狭隘化しました。制度的には八方塞がりのなか、いかにしてこの状況を打破するかを考えた結果、学部所属の教員を研究科所属に移しました。なぜなら、教員あたりの学生定員が大学院の教員のほうが多いからです。
ただ、これだけでは学部定員が削減されてしまうので、大学院教員が学部教員を兼任するという形にしました。また、助手より教授、助教授のほうが、校費の額が大きいため、助手の定員を減らし、助教授や教授を増やすといった工夫もなされました。これらによって、校費の増加と大学院生の増加を同時に満たすことができました。
これが他の大学にも波及しました。
しかし、状況が変化していきます。
2000年度から、国立大学の積算校費の仕組みが変更され、従来は教官あたりの積算校費が支払われていたが、教育研究基盤校費を中心とする制度になり、分野別、職位別に定められていた費用が一本化されました。以上より、大学院重点化に予算上のメリットがなくなりました
また、1998年10月には、大学審議会答申「21世紀の大学像と今後の改革方針について」がまとめられました。これをもとに、1999年に学校教育法や国立学校設置法が改正され、大学院に研究科以外の基本組織を置くことができるようになりました。これらの波及効果として、教育と研究を分離させ、いかにも研究大学であることを誇示できるために重点化(部局化)する大学もでてきたのです。
こうした状況とは別に、政策面および政治的環境が変化してきました。
1995年に科学技術基本法が設置され、ポストドクター等1万人支援計画がはじまりました。
高等教育の規制緩和もすすみ、研究科等の設立基準が届け出制になりました。これにより、私立大学も大学院重点化することが可能になりました。
以上簡単にいきさつをまとめてみました。