同じNPOの仲間である立花さんだが、この部分はいつも微妙に意見が異なってしまう。
国費を使ったポスドクの受け皿づくりについて,社会への説明は必要
もちろん、あらゆる国家予算は説明責任を伴うから、ポスドクの就職問題に関してもそれは同様だと思う。
ただ、国費を使った天下りとか、国費を使った官僚の留学とか、他にもハローワークや失業対策にも国費は使われている。3億円の予算にここまで反感が高まるのは、そうとうに根深い理由があるのだと思う。
大きい要因は、前にも書いたが「ポスドクは優遇されている」と思われているからだろう。
好きなことだけやって、楽して、ずっと学生して、それで職がないから国が金をだせだと?そんなの許されるわけないじゃない…
地方の学生など就職に苦労している人は世の中にたくさんいる。なのにあいつらだけ特別扱いされるとは何事か…
前にも書いたが、私は理系の大学院生を経験しているので、大学院が楽な楽しい場所だとは全然思わない。もちろん、職はそんなにないだろう、との覚悟を決めて入学したが…
学費を払っていながら実質労働力として使われているわけで、今日の非正社員の問題にも通じる。諸外国とちがって給費制の奨学金もなく、学費も高い。つまり、日本の科学研究の末端は、学生の家庭の経済力、すなわち民間の資金で支えられていたことになる。
いまさらながら非常にいびつだ。こういう制度の問題点は、日本の経済成長によってあいまいになったが、経済の停滞と大学院生の増加(失業対策という意味もあるとの勘繰りさえできる)によって問題が顕著になってきたのが、1990年代後半のことだ。
ポスドクや大学院生という存在の実態が世の中に知られていないという現実が浮かび上がる。社会への説明が必要という点ではまったく同感だ。
社会に出せないほどの学生を採用する大学院や、大学院重点化を推進した行政の責任は軽くはないと思う。職がないなら学生を減らせばよい、とはよく言われるが、学生数が予算に反映する今の状況では、増えることはあっても減ることはない。
政府が出した日本21世紀ビジョンでは、まだまだ大学院生を増やすと明記している。
実のところ、日本の博士は不足しているとのデータもある。要はミスマッチが起きているということだろう。企業や社会のほしい人材と、大学院が生み出す人材の能力にギャップがあるのだ。
政府がポスドクのキャリア問題に気がついたことはまことに喜ばしい。しかし、立花さんが指摘するように、能力のミスマッチに目をつぶって、企業に人材を押し付けるだけでは、まったく問題は解決しない。
柳田さんも大隈典子さんも、初等、中等教育にポスドクを活用してほしいと提案している。実は私は、日本生化学会の人材委員会の提言で、同様の提言を作成したことがある。
こういう提案は、ある種押し付けに近いかも知れない。初等、中等教育で必要な能力と、研究能力は異なる。単純に研究者が教育現場にいけば素晴らしい教育ができるというものではない。
公共事業的に、人を押し付けるというのではなく、需要と供給のギャップをみきわめ、労働市場でやっていける能力や技能を身につけることにお金を使うというのなら、納得いく人も多いのではないか。
これはポスドクだけにいえることではなく、さまざまな人が、市場でやっていける能力を身につけるようにお金を出すことは、社会のためにも重要なのではないか。たとえば教育バウチャーなどの発行が考えられる。
もちろん、能力を身につけた人を使う場所がなければ意味がないわけで、雇用問題の解決、新しい市場の開拓は不可欠だ。
いずれにせよ、数を増やし、必要なときだけ使ってあとは知らない、では済まされない。罵倒の矢面に立たされているのは当事者である博士たちだ。政府や大学は、ポスドク支援の社会的根拠について説明責任を果たし、博士たちを守るべきではないのか。
私たちもNPOの立場から、ポスドク支援の意味について考えていきたい。
脈絡のない乱文になってしまった。失礼。