科学・政策と社会ニュースクリップ

科学政策や科学コミュニケーション等の情報をクリップしていきます。

理科好きと科学者

 私たちサイコムジャパンのメーリングリストでも、以下の記事が大いに話題になっている。

理科大好きでも科学者イヤ 中3男子56%・女子81%
http://www.asahi.com/life/update/1210/006.html

 問題になっているのはやはり以下の部分。

ところが、「科学者になりたい」との回答はわずか34%(男子44%、女子19%)。男子の56%、女子の81%は「なりたくない」と答え、前者の回答との食い違いが目立った。

 男子の半分近く、女子の2割も科学者になりたいと思っているのなら、上等ではないかという意見が多数。

 つぶやきおやじさんの言われる

大量の理系大学院卒業生さらには理系ドクターが職にあぶれているあるいはあぶれるであろう日本の社会の中で、「科学者になりたいなんて誰も思っていないんだから、君たちもそろそろ科学者になることをあきらめて別の職を探したらどうですか」というようなメッセージが隠されているのかもしれない

 というのは、やはりちょっと穿ちすぎだと思うが、「理科教育、サイエンスコミュニケーションはこんなに重要なんですよ」ということを言いたいのかな、と思う。



 話は変わるが、最近、理科教育推進や科学コミュニケーション推進が無条件で善でいいのかと思うようになっている。

 3年前、NPOの名前にサイエンス・コミュニケーションと名づけたときには、「科学コミュニケーションって何?」と言われたものだが、いまや隔世の感がある。

 それは私たちの活動の成果であるかも知れないのだが、ただ、世の中がこうも科学コミュニケーションと言い出すと、これでいいのかな、と思ってしまう。

 昨日のパブリックコメントにも書いたが、私研究者、あなた市民、という区分がある以上、双方向とは言っても対等なコミュニケーションを行うことは難しい。それはサイエンスカフェに参加しても変わらない。

 双方向とは、関係がめまぐるしく変化するような状態を言うのだと思う。だとすると、市民も研究者であるべきではないかと思う。

 科学は伝えるではなく、やってもらう、なのではないか。理科実験のような興味、楽しさ重視ではなく、地域に根ざした、身近な対象を定めて、科学の手法を使って研究することによって、市民は研究者になるし、そのときに市民、研究者関係は逆転もありえるようになるのではないか。

 まだ考えがまとまっていない。米本昌平氏は、市民研究が経済を活性化しうるとの提案をしている。

 ここらで一歩踏み出した科学コミュニケーションを考えたい。