科学・政策と社会ニュースクリップ

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ミスコンダクトと責任ある研究活動の距離

 昨日の記事で、小保方博士、山中伸弥教授、石井俊輔・理研上級研究員の行為は「地続き」であると書きました。

 これに対して、以下のようなご意見をいただきました。

 大変重要なご指摘であるので、ここでもうちょっと考えてみます。

 研究不正と書くと、不法性、違法性が強調されるとのことで、ここでは以下の本を参照に、ミスコンダクトと書きます。

科学のミスコンダクト―科学者コミュニティの自律をめざして (学術会議叢書(13)) (学術会議叢書 (13))

科学のミスコンダクト―科学者コミュニティの自律をめざして (学術会議叢書(13)) (学術会議叢書 (13))

 ミスコンダクトには捏造、改ざん、盗用の3種類が主なものとされています。以下用語の説明です。

 以下、下記の本を参考にしました(引用ページを明記します)

科学を志す人びとへ―不正を起こさないために

科学を志す人びとへ―不正を起こさないために

  • 捏造:存在しないデータを都合よく作成すること。
  • 改ざん:データの変造や偽造。クッキングやトリミングも含む。
  • 盗用:他人のアイディアやデータ、研究成果を適切に引用せずに使用すること。

(P37)

 この3つを、英語の頭文字を取ってFFPと呼びます。クッキングは都合のよいデータだけピックアップすること、トリミングは都合の悪いデータを除外することです。

 このほか、不適切なオーサーシップや個人情報の不適切な取扱い、プライバシーの侵害、研究資金の不正使用、論文の多重投稿等もミスコンダクトに含まれます。これらはミスコンダクトと判定することが難しい場合もあります。

 ステネックらによると、FFPの対極には「責任ある研究活動」があるとされています。「責任ある研究活動」(RCR:Responsible Conduct of Research)とは以下のように定義されます。

RCRとは、研究者のプロフェッショナルとしての責任をまっとうするやり方で研究を遂行することにほかならない。ここでのプロフェッショナルとしての責任は、各専門学協会・職能団体、研究者が所属する機関、および、関係する場合は、政府や公衆によって定義づけられたものである。

(P89)

 ステネックは、FFPとRCRの間には「疑わしい行動」(QRP:Questionable Research Practice)があるとしています(P91)。先にあげた論文の多重投稿を含め、先行研究の不十分な調査、自説に有利な実験結果の選択的な発表や誇張、自説に不利な実験結果の非開示や発表遅れなどが含まれます。

 ステネックは、FFPQRP、RCRの間は連続的であると言います(P81)。そして、研究者の行動を以下の図のようにモデル化できると述べています。


RCR---------QRP---------FFP
理想的←-------------→最悪

行動の良し悪しは、何らかの絶対的な判断基準ですべて決着できるわけではない。この図に示されるように「意図的な不法行為」から「責任ある研究活動」までは連続的で、善悪の中間の様々な「疑わしい行為」も存在する。「疑わしい行為」は、その行為の生じる背景や時代、地域や民族、社会環境、結果として生じる科学的・社会的・経済的影響などによって判断がわかれ、明確な線引ができないことも多い。したがって、科学者は、行動の是非についての判断とともに、あるいはそれ以上に、その判断にいたった倫理的理由や考え方(Ethical Reasoning)を最重視すべきである。

 長くなりましたが、ここで再び小保方博士、山中博士、石井博士を比較してみます。

 小保方博士は捏造、改ざん、盗用が疑われており、FFPをすべて行ったことが疑われています。

 山中博士の場合、生データを提示できず、電気泳動のバンド及びOct3/4の発現に関しては改ざんが疑われています。週刊新潮の山中教授のインタビューによると、Sox2の発現のデータに関しては、実験の記録もなかったとのことで、捏造の可能性も疑われています。いずれも生データがないので、これ以上証明ができません。

昨日書きましたように、データの保存期間である5年間は過ぎているので、疑義は晴れませんでしたが、ミスコンダクトと確定はできません。時効による免責があるとするならば、罪は問えません。

 石井博士は、改ざんが疑われましたが、生データがあり、画像の加工を行ったことにとどまっていると考えます。

 もう一度表にまとめます。

研究者 捏造 改ざん 盗用 再現性 他論文から引用
小保方 疑い あり あり なし(現段階) なし(現段階)
山中 不明 不明 なし あり あり
石井 なし 画像の切り貼り なし あり あり

 ステネックの図に当てはめると、以下のようになりなると考えます(小保方博士=O、山中博士=Y、石井博士=I)。

RCR---------QRP---------FFP
−−−−−−I----Y---------O

 地続きというやや不明瞭な単語を使ってしまいましたが、ステネックのいう「連続的」という表現のほうが適切かもしれません。石井、山中博士の行為は少なくともQRPであると思います。

 私なりの小保方博士と山中博士の違いの判断基準は、FFPの割合と再現性、歴史の審判を受けたかというところです。小保方博士の論文は、FFPが多すぎて、論文に信頼性がなくなってしまったことが問題です。山中博士は元実験はあるわけですし、なにより15年前であり、データの保存義務の期間はすぎています。

もし疑義が本当だとしても、「手抜き」をしたというのが実際のところかもしれません。虚構と手抜きには大きな違いがあります。

 けれど、再現できればオッケーでは、STAP細胞が存在すれば小保方博士の罪は許されるとなってしまいます。やはり研究の過程は重要で、データの保存義務期間のことを考慮しなければなりませんが、データに手を加えたと疑われ、その疑義を晴らすことができない点は、共通した問題があると思います。

 RCR、QRPFFPの間を厳密に区分する「境界線」はありません。また、科学の発見がある種の「ねつ造」から始まるとも言われます。

 白楽ロックビル博士は以下のように述べます。以下参照。

科学研究者の事件と倫理 (KS科学一般書)

科学研究者の事件と倫理 (KS科学一般書)

まず、「研究者は自分が知っていることしか発見できない」。つまり、研究者は、まず"真実"はこうだろうと想像し「最初はあいまいな仮説」を立てるところからはじめる。つまりこの段階では「ねつ造」であるといえる。そして、人間が未知のことを理解するのは、パトリック・ヒーランが「科学のラセン的解釈」説で述べているように、「最初はあいまいな仮説(つまり「ねつ造」)→試す→都合のいい部分を残し、不都合な部分を変える(拡大・分化、つまり「改ざん」)→試す、のラセン的上昇で<知>が生産される」のである。発見のプロセスがこのようだから、発見にはある種の「ねつ造・改ざん」作業が必然なのである。

(P153-154)

 研究者のミスコンダクト問題は、私自身まだまだ理解していないことも多いので、ぜひ今後共多くの方々と議論させていただけたらと思います。