科学・政策と社会ニュースクリップ

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ポスドク問題とは何か

 今朝発行のメルマガを転載する。

【揺れるポスドクポスドク問題とは何か】
■二週連続でポスドク問題(含博士の就職問題)について考える。

ポスドクや博士の就職問題をどう捉えるか…私は過去数年に渡り、この問題を考え
てきたが、正直言ってしまえば、発言は相当ぶれているのではないかと思う。

■ここ数年、もっと遡ると1990年代半ば以降、博士号を持った者に十分な就職先がな
いという問題が顕在化したが、それは大学院重点化や不況、小泉改革格差社会、フ
リーターやニートといった社会の問題と密接に関わっているように思う。それと同時
に、私自身がこの時期に大学院に入り、肌身を持って就職の困難さに直面したという
個人史的な問題とも深く関わっている。

■もちろんその前には「オーバードクター問題」というのが存在したが、それは1980
年代以降の好景気にかき消されて、あいまいなまま「解決」されてしまった。

■なお、現在のポスドク問題はかつてのオーバードクター問題と質および量で相当に
相違点があると思っているが、とりあえずここではそれに触れない。

■話を元に戻すと、この問題をはじめて認識した時は、就職できない人は研究能力が
ない駄目な人であり、日本の大学が世界(特にアメリカ)と肩を並べるためには、競
争をあおり、無能な人を淘汰することこそが重要であると素朴に考えていた。

■しかし、やがて競争がすべてを解決するという素朴な考えは単純すぎることに気が
ついた。人の能力は決して一元的ではないからである。そして研究経験を生かした職
業に就こうと模索をはじめた。そのとき、研究者が研究以外の多彩なキャリアを歩む
ことの重要性に気がついた。日本が目標としているアメリカでさえ、研究者が研究以
外の道に進出することを政府やAAASといった機関が支援していることを知った
1)。

■次第に社会の階層化や社会格差問題がポスドクや研究者のキャリア問題にも投影さ
れていることに気がつき、社会や雇用問題の言説をポスドク問題にも援用した。

■しかし、「ポスドクは甘えている」「ポスドクばかり優遇されている」「何でもか
んでも政府に頼るな」「自己責任だ」といった厳しい声を見聞きするたびに、私の考
えもぶれ続けた。ポスドクの考えが甘いから、研究職にこだわり過ぎるからさまざま
な問題が生じているという面も相当に大きいのだろうと考え、ポスドクの意識改革を
訴えた(もちろん今でもこの点は重要だと思っているが)。

■まだ考えがまとまったとは言いがたいが、今はポスドク問題は雇用の問題だと考え
ている。

■大学院重点化が不況と期を一にしているのは偶然ではないだろう。この時期、就職
できないから大学院に行くという学生が現れたように、本来なら失業者になる層の一
部が大学院生として大学に「収容」されたという側面もあるのではないか。

■また、安い労働力としてポスドクや大学院生を使うという構造が日本の大学の研究
を支えているという現実が、ポスドクの就職問題にも大きな影を投げかけてるように
思う。常勤のパーマネントなポストは増えず、短期雇用のポスドクばかり増えている
現状は、フリーターやパートと正社員の問題とよく似ている。

■また、よく「大学院まで行って博士号を持っているのだから、自力で就職先も探せ
るはずだ」と言われるが、それでも就職がない状況は、大学院でのトレーニングやポ
スドクとしての経験が労働市場にマッチしていないということを示しており、このあ
たりも、大学での学習内容が企業の求めるもとのマッチしていないという現在の新卒
就職事情とも合致している。

ポスドクは甘えている、就職できないのではなく、研究職にこだわりすぎているの
だ、という一部の(バッシングめいた)見方も、「ニート」問題と似ているように思
う。最近「ニート」がデータや調査に基づかないのではないか、という指摘がなされ
ているが2)、ポスドクの実態調査というのがほとんどない中でのステレオタイプ
ポスドク観も、これと同じように感じる。研究者ブログなどでのヒートアップも、
ニート」問題に通じる。こうした根拠のない印象レベルの見方は、私自身も反省す
べき点があると思っている。

■こうした状況を踏まえ、ポスドク問題を解決するためにはどうすればよいか。

■「甘え」とか「こだわりすぎ」といった印象程度での議論を拝し、雇用問題として
冷静に調査分析し、対策を講じるほかない。

■まずはポスドクや大学院生のデータを集める必要があるだろう。政府は現在調査し
ているそうだが、早急に結果が出ることを願いたい3)。

■そして、先週述べたように、インターンシップやマッチング、ポスドクへのキャリ
ア情報提供、ライティング技術やコミュニケーション技術といった汎用性の高いスキ
ルを身につけてもらう事業などを行うことが重要になると思う。

■先週も述べたが、私はポスドクや博士号取得者の能力は決して馬鹿にできるもので
はないと思っている。高度な専門的領域で何かを成し遂げた経験は、ちょっとした
きっかけやスキルがあれば、さまざまな職種に応用可能であると思っている。

参考
1)何度か紹介してきたが、
Alternative Careers in Science: Leaving the Ivory Tower (Scientific Survival Skills)

という本がある。昨年第二版が出た。

2)「ニート」って言うな! 光文社新書
本田 由紀 (著), 内藤 朝雄 (著), 後藤 和智 (著)

かなり示唆的で、いろいろ考えさせられた。

3)数少ない調査として、東大の2004年(第54回)学生生活実態調査の結果

がある。



【補足】 
 すこし尻切れトンボになったので補足する。

 現在政府がやろうとしているポスドク対策に違和感を感じるのは、無理やり新しい職場を作り出そうとしているからではないか。

 これは二重の意味で失礼な話だ。

 必要性の有無はあまり問わずに(もちろん必要なことも多いだろうが)、仕事をないところに生み出して雇用を増やすという発想で、これではまるである種の公共事業だ。これはポスドクが社会にあまり役立たないことを前提としている。

 また、この前提がある限り、社会に無駄な人々に雇用を作り出すということになってしまい、各方面から怨嗟の声があがるのも無理ない。

 ポスドク問題は、ポスドクを社会に溶け込ませなければ意味がない。

 くどいがポスドクや博士は決して社会のお荷物、不良債権じゃない。その専門性は直接役立つ範囲は限られているだろうが、研究を立案し成し遂げた経験、ラボを率いたマネジメントの経験などは、汎用性が高いはずだ。

 ポスドク自身も当事者として声をあげないと、問題が問題として認識されることがない。

 いろいろなしがらみから何も言えない人も多いだろうが、その場合は私たちサイコムジャパンに言ってくれてもいい。公共の視点から、利己的、自己保身的な意見にはそのまま答えられないだろうが、ポスドクがその能力を存分に発揮できる環境を目指すのは、公共の視点に合致する部分も多い。

 ともかく、ポスドク問題はポスドクという存在やその能力を社会にどう役立てるか、という科学コミュニケーションの問題でもある。今後もあちこちぶれることがあるかも知れないが、皆さんと議論を重ね、この問題を考え続けていきたい。