科学・政策と社会ニュースクリップ

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iPS 細胞のもたらした衝撃〜ノーベル賞と臨床適用騒動〜

横山雅俊 (市民科学研究室理事)
http://twitter.com/yokodon001
http://blog.goo.ne.jp/yokodon_001/

 毎年 10 月第1週は、ノーベル賞各賞の発表される週として知られるようになりました。
 今年は、兼ねてから有力受賞候補の1人と目されていた京都大学教授の山中伸弥さんと、英国ケンブリッジ大学教授の J. B. ガードンさんの2氏が受賞しました。業績は、言わずと知れた iPS 細胞(人工多能性幹細胞)を作る方法の発見です。

京都大学 iPS 細胞研究所
http://www.cira.kyoto-u.ac.jp/j/index.html
ケンブリッジ大 ガードン研究所
http://www.gurdon.cam.ac.uk/gurdon.html

 受賞業績の概要は、以下に記載があります。

ノーベル財団 公式発表(英文)
http://www.nobelprize.org/nobel_prizes/medicine/laureates/2012/
http://www.nobelprize.org/nobel_prizes/medicine/laureates/2012/press.html

 山中さんの今回の受賞対象の論文は、Cell からオープンアクセスで入手できます。
http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0092867406009767

 発表後はご存知の通りの大フィーバーになったわけですが、その直後にものすごい話が持ち上がりました。
 各々の報道の詳細はメルマガ中の記事 URL 一覧に譲りますが、森口尚史さん(第一報当時、「ハーバード大客員講師」との肩書きだった)という方からの、iPS 細胞から作った心筋細胞を心臓病の患者に移植したという臨床適応の電撃発表がありました。その後の大混乱や、報道の錯綜は、皆さんご存知の通りです。

 この件に関しては、様々な論点がありうると思います。
 いわゆる捏造であったかどうかに関しては、まだ確定的な判断は下せないと思っています(筆者個人の印象では、捏造の可能性が高いと思っていますが)。ただ、一連の報道やテレビ中継を見る限り、森口さんからは具体的なデータの提示は殆どありません。米国 NIH の論文データベース PubMed で、キーワード「Moriguchi」「Hisashi」にて検索すると、27 件ヒットしますが、森口さんが筆頭著者の記事の殆どが特定の記事(論文)に関するコメントで占められています。
 iPS 細胞や、ES 細胞(胚性幹細胞)の臨床適用における技術面に関しては、筆者の知りうる限り、まだ未完成の域にあるといって良さそうです。奇しくも山中さん自身がその旨を述べています。

朝日新聞 社会面
山中氏「いきなり人間、あり得ない」 iPS 臨床報道に
http://www.asahi.com/national/update/1013/TKY201210120675.html

 科学的な側面からの検証は、もう少し時間をかけて行う必要があるとして、問題なのはなぜこれが大々的な報道に乗ってしまったのかということです。
 一々をここでは取り上げませんが、多くの人がネット上で発言しているように、森口さんや第一報を流した読売新聞を叩いて終わりになるような単純な話ではなく、ましてや森口さんの個人的背景をストーキングして済む話でもなく、科学報道の在り方や、専門家とマスコミの接し方などに関する、構造的な問題があると考えられます。
 報道各社の一連の記事を注意深く読んでみると、新聞各社の内部事情がうっすら透けて見えます。詳述はしませんが、報道各社の中で、社内の位置づけとして科学報道がどれだけ重視されてきていたのでしょうか? 新聞記者も人間ですから、間違いはありうるでしょう。それはそれとして、問題なのはチェック機能があったはずの社内で、何故今回はそれが機能しなかったのかです。特定の社内だけの問題なのでしょうか?
 尤も、かくいう筆者自身も Twitter でややフライングしたクチなので、大きなことは言えないかも知れませんが...。

 他方で、残念ながらと言うか何と言うか、報道各社の方々の中には、科学研究業界の内部事情に関して、明るい人材はどのくらいいらっしゃるのか...という感想を、科学コミュニティの末席に属する筆者は、つい抱いてしまいます。「簡易論文」という単語であったり、学会年会でのポスター発表に関する認識であったり、他色々。多くの学会はオープンで、お金さえ払えば誰でも参加出来ます。学会側のアピールの問題や、学会の〈アカデミア関係者以外の人材に対する〉オープンさの程度問題などを考えると、ある程度は仕方の無い面もあるかも知れません。しかし、それにしてもあんまりだなとも思います。筆者も幾つかの学会に出入りしていますが、マスコミ関係者の方にお目にかかったことは、ごく数えるほどしかありません。

 幸いにして、ネット上の論壇は割と健全だなという印象を、今回は受けています。
 筆者の張っているアンテナの向きに偏りがあるからかも知れませんが、今回のような騒動があった場合、研究者業界の問題と、マスコミ側の問題とを、キチンと切り分けて考えることは重要です。
 しばらくは動向を見極めながら、事件の全貌が明らかになることを期待し、出来る行動があればしたいと思っています。