Nature誌2010年10月21日号に、「科学者は都市問題に目を向けるべき」という巻頭言が掲載された。
「都市には水、汚染、貧困といった持続可能性にかかわる問題が集約されており、科学者たちは都市にもっと目を向けるべきだ」という。
記事によれば、ワシントンDCの人口の1/10が科学者、技術者であり、北京には16万人もの研究開発職の職業の人が住むなど、科学者の多くが都市に住み、都市の恩恵を受けている、なぜもっと都市のニーズに目を向けないのか、と述べている。
この号のNatureは、都市と科学の特集号であり、多数の論文が掲載されている。
近年、環境問題など、都市が抱える問題を研究する研究者が少しずつ増えている。しかし、多くは国レベルの研究をしており、個別の都市に関する研究はまだ遅れているという。
研究者は自ら出した結果が都市のニーズとずれていることを理解すべきで、そのために、自らの領分を飛び出して、行政担当者と交流すべきと述べる。その一例がClimate Change and Chicagoだ。
社会のニーズと研究がマッチしていない状況。
よく研究は「役に立たなければならない」といわれる。一方で、「すぐには役に立たない文化としての科学もある」という声もある。科学と技術の差も含め、研究における役に立つ(ミッションオリエンテッド)、好奇心の赴くまま研究する(好奇心駆動型)という二つの道には尽きない論争がある。
(たまたた今週、これに若干からむ記事が二本出ていた
- 同じ探究精神の発露だ - 高い視点と広い視野でみた『科学』と『技術』 理化学研究所 研究顧問 和田 昭允 氏
- Scientists vs engineers: this time it's financial)
ただ、突き詰めてみると、「役に立つ」は産業応用のみではない。
上であげたような、社会が関わる問題に関わるのも「役に立つ」の一つの形態だと思う。
「最も優れた頭脳は、最も困難な問題に取り組んでいるだろうか。その答えは、おそらくノーだと思う」
社会問題に取り組むことは、決して好奇心駆動型の研究を否定するのもではない。ビルゲイツ自身も「何もそれが悪いと言うのではない」と述べる。
ただ、もうちょっとそういう問題に関心を持つ科学者、技術者が増えると、科学・技術と社会はもっと近いものになるかもしれない。
「理科離れ」は常に話題になっているが、科学者の「社会離れ」は起きていないだろうか。
もし自分が「社会離れ」を起こしているかも、と思ったら、自分の街に関心を持つことから始めたらどうだろうか。