立花さんがコメントでデジタルデバイドの話を振ってくれたので考えてみる。
わがサイエンス・コミュニケーションは完全にネット主体のNPOだ。ネットがなければやっていけないと思う。
私はネット時代の前に各種団体で活動をしていたが、結構大変だった。郵便物を袋につめる作業の労力は馬鹿にならないし、郵送費も結構かかる。
メンバー同士の連絡も電話だった。携帯もない時代で、人をつかまえるのに一苦労した。
そんな苦労もいまや昔。メーリングリストで連絡は簡単。会報や部誌はメールマガジンになった。ブログやmixiのようなSNSもある(一度SNSと科学コミュニケーションの件はまとめて論じたいところ)。
カネナイヒトナイジカンナイの三ナイ団体にとって、ネットはきわめて強力な武器だ。
とは言うものの、ネットはまだまだ局地的なものだ。まだネットを使えない人は多い。
今号のメールマガジンはおかげさまで1600部を超えたし、このブログはあと数日で20万アクセスを迎える。けれど、毎日数百万部を出す新聞や、数千万人が観るテレビのことを考えると、影響力は微々たるものだ。ネット企業が既存のメディアを狙うのも分かる気がする。
もちろん大きければいいってものではない。メディアを生態系にたとえるメディアビオトープ
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4314009772/nposciencecom-22/
の考え方は魅力的だ。
東大の科学技術インタープリター養成プログラムの教員の中には、メディアビオトープの提唱者の水越伸氏が含まれている。サイエンス・コミュニケーションとメディアビオトープの考え方がどう融合しうるのか、楽しみである。
ともかく、自分の家族(とくに祖父母や両親など比較的高齢の人たち)や友人と科学コミュニケーションをするとき、やはり紙(本、新聞)、コトバ、映像といったものは必要不可欠だ。ネットを降りて?リアルな世界に下りていかなければならない。
ブログやSNSの有用性、可能性には注目しているが、カフェや本、新聞といったリアルな行動、既存のメディアと絡み合わないと効果が薄いだろう。
とかく既存メディアと研究者は対立しがちだ。正確に伝えていない、勉強不足だ、というのが研究者の言い分だ。
ただ、常に敵対関係であってはいけないと思う。癒着はいけないが、緊張感を伴いつつも協力できるところは協力したらいいと思う。
批判は当然だが、非難、拒絶とは違う。
いつものごとく散漫になったが、本を書く、新聞や雑誌、テレビを通して発言する、声の届く範囲のコミュニケーションを行うといった、ローテクというべきか、どぶ板というべきか、こういった旧来のやり方をどう活用すべきか、これも科学コミュニケーションの課題だろう。