科学・政策と社会ニュースクリップ

科学政策や科学コミュニケーション等の情報をクリップしていきます。

科学コミュニケーションと理科

 先日科学コミュニケーター若手交流会が東京で開催された。

 サイコムジャパンからは立花さん、春日事務局長が出席した。詳しい内容はhttp://d.hatena.ne.jp/Membrane/20060218/p1などをご参照されたい。

 私は若手の年齢はとうに超えたし(生化学若い研究者の会はおととし卒業?一緒の時代に活動していた岩崎秀雄君が講師として呼ばれた時点で、もう若くないと悟った)、東京に行く余裕もなかったから、参加者の皆さんの熱をじかに感じることはできないのが残念だ。

 ただ、この前の湘南国際村でも言ったが、どこからも距離を置いているという(現実問題地方都市に住んでいるし)のは利点だと思っている。

 クールマインド?で科学コミュニケーションを眺めると、どなたかが指摘していたように、ぽっと降ってきた「黒船」科学コミュニケーションと既存の活動とをどう融合させるかが重要だと思う。

 振り返るに、科学コミュニケーションという言葉が認知されていなかった時代(わずか数年前のことだが)にも、今考えれば科学コミュニケーションと思える活動があった。

 ちょっと自分史になってしまうが、私の体験を振り返ってみる。

 小学生の時は「実験クラブ」に3年間も入って、手作り温度計を作ったり、自由研究で天気図を書いたりもした。

 図書室には学研などの科学本が置いてあり、夢中になって読んだ。近所の理科の先生が、天体観測会を開いていたのも覚えている。

 こうした体験を通じて、自然と理科少年になった。私自身、高校時代は理科部天文班に所属し、校内日食観測会、駅前観望会を開催したり、部が持っていた手作りプラネタリウムを上映したりもしていた。

 これら「理科」と呼ばれるものは、今考えると、科学コミュニケーションといえるだろう。

 こうした体験をよく考えると、それらの多くは学校がベースになっている。


 考えてみると、小学校や中学校などには、必ず理科室がある。これはよく考えればすごいことだ。

 全国津々浦々、ビーカーやフラスコが置いてあるのだ。顕微鏡もあるし、望遠鏡もあるかも知れない。生き物を飼っている学校も多いだろう。

 そして必ず理科を教える先生がいる。

 こうしたインフラや人材を活用しない手はないのではないか。


 今の科学コミュニケーション活動をみると、小中高校の理科の先生たちとの連携が少ないように思う。もちろん、出張授業系の活動は先生たちとの連携が不可欠だろうが、ほかではまだまだ不十分な印象がある。

 たとえばサイエンスEネットの活動などは、質量ともにきわめて充実している。

 もちろん、今の科学コミュニケーションとして語られる活動は、最先端の研究を身近に、というのがテーマだから、基礎的な理科とは相違がある。しかし、「科学を楽しむ」といった部分では、理科教育ともっと交流をしていったら、いろいろなことができるのではないか。


 しかし、科学コミュニケーションは広い。理科とも重なるし、ジャーナリズムとも重なる。先に述べたように、科学コミュニケーションとして語られる活動は多義であるので、どういう意味で科学コミュニケーションと言う言葉を使っているのかは注意しなければならない。