科学・政策と社会ニュースクリップ

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虎は死んで皮を残す、理科大去って何を残す?


かい人二十八面相(東京理科大卒業生)

2018年2月22日、東京理科大が公表した再編計画を見たワタクシの脳内で、松任谷由実「リフレインが叫んでる」のリフレインが繰り返し鳴り響きました。ワタクシは東京理科大学の神楽坂キャンパスで学んだ卒業生、もうすぐ60歳です。ネタが古いことは、どうぞ笑ってお許しください。

学校法人東京理科大学 「葛飾キャンパスにおける学部学科の再編について」
http://www.tus.ac.jp/today/archive/20180222001.html

 最も話題を呼んでいるのは、長万部における基礎工学部1年次の全寮制教育を取りやめる計画でしょう。「長万部キャンパスは、国際化のための教育の場として活用するべく検討を進める」ということです。人口5500人を切った長万部町に、1学年200人だけとはいえ理科大生の若者たちが住んでいるわけですが、その若者たちが来なくなるかもしれないわけです。町の経済にどれほど大きなご迷惑がかかることでしょうか。理科大長万部キャンパスのために整備していただいた道路・水道などのインフラは、学生が来なくなったら同様に有効活用することは無理ではないかと思われます。理科大が地元に落とすお金がなくなる中、維持するだけでもお金がかかるインフラを、長万部町はこれからどうやって維持していくのでしょうか。地域経済のうち理科大理科大生で回っている部分は、理科大が去ってもすぐにゼロになってしまうわけではありません。人がいたり経済活動があったりすれば、インフラ維持が必要です。理科大去って、地域には大きなお荷物が残るわけです。

 今に始まった話ではありません。理科大はこれまでも、褒められたものではない所業を繰り返してきました。「若者の流出が止まらない」という悩みを抱えた自治体に大学設置を持ちかけ、好条件で誘致してもらい、学生募集や大学経営が困難になると廃止の可能性を提示し、地元自治体に公立大学として引き取ってもらってきています。疲弊した地域に大学があれば、若者の流出は少しは食い止められます。経済状況が厳しく、地元の大学でなくては進学させられない親は、子どもに大学進学の機会を与えることができます。もちろん子どもは、大学で学ぶことができます。ニーズに応える理科大は、大学経営でそれなりの収益を上げることができます。
 しかし、地域がさらに疲弊すると、大学経営も厳しくなります。「山口・諏訪とも学生募集が厳しくなってきている」という噂は、2000年代に入ると、卒業生の耳にチラホラ聞こえはじめていました。山口東京理科大学は2016年に、諏訪東京理科大学は2018年から、このような成り行きの結果として公立大学化されています。
山口県山陽小野田市宇部市、長野県の茅野市とも、財政状況は安泰というわけではなく、むしろ厳しい状況にあります。それでも、「ウチで引き取るから大学は残してくれ」と言わざるを得ないのでしょう。疲弊した地域にとって大学の維持は大変な難事業ですが、大学が一つなくなったら、それ以上の打撃になりかねません。地域は究極の選択を迫られ、理科大は究極の選択を迫って教職員のポストを一部なりとも守れるというわけです。

今回の長万部のニュースは、驚くようなことではありません。理科大が繰り返してきた毎度お馴染みのパターンです。しかし私は、卒業生として、学校法人東京理科大学に対して、なんとも釈然としない気持ちになるのです。疲弊した地域を狙い撃ちして歓迎してもらい、私学としてスタートし、私学として経営が成り立つうちは私学としてメリットを享受し、それが難しくなったら地域に負担を押し付けて撤退するというやり方は、横目で見ていて気持ちのよいものではありません。

長万部町は、山口東京理科大学がある山陽小野田市宇部市諏訪東京理科大学がある茅野市に比べると、さらに厳しい状況にあります。町にどれほど強い希望があっても、町の負担によって長万部キャンパスを公立大学化して存続させるのは不可能でしょう。もともと1年次だけの教育でしたから、曲りなりにも学部が全学年と大学院まで揃っている山口・諏訪とは事情が違います。だから「国際化のための教育」の場として残すということなのでしょう。町と地域経済に、どれだけご迷惑をかければ気が済むのでしょうか。

 理科大の大学経営のエゲツなさは、私が在学していた1980年前後から、公然の秘密ではありました。今は、当時に比べれば、少しはクリーンになっているのではないかと思われます。1980年代は、統一教会と大学幹部の癒着がメディアで時折話題になっており、しかもウソではなかったのです。学食を経営している「神栄サービス」が大学幹部の私企業で役員は世襲化しているなどという噂も絶えませんでした。1980年代の東京理科大の学食といえば、安さや美味さや健康とは無縁な代物でした。「生協食堂に来てほしい」という希望は歴代学生たちの悲願でしたが、現在もなお、叶っていないようです。
 1980年代の理科大生たちの一部は、「原発ハザードマップ」をパクって、「全国理科大マップ」を作っていました。「日本全国原発だらけ」ならぬ「日本全国理科大だらけ」です。2011年、原発安全神話は崩壊しました。理科大ブランドはどうなのでしょうか。いつか原発安全神話のように「あああがらがらどんどんどん」となる心配はないでしょうか?

ちなみに1987年の長万部キャンパス開設にあたっては、「これからは女子」という狙いがあったそうです。男女雇用機会均等法が成立したのは1985年でしたからね。地方の親は女子の理系進学に対して「わが娘は都会の誘惑に負けて悪い虫がつくのでは」というような妄想を描いていることが多かったので、渋谷や新宿から遠く離れた長万部に男女別の寮を設置して全寮制とした、と聞いております。理科大のエゲツない経営、おっと巧妙なマーケティングは功を奏し、構想通り、そういう親たちが娘をこぞって進学させたと聞いています。女子の理系進学に対する地方の親の抵抗感を、女子を自宅外進学させることへの抵抗感とともに解消するマーケティングは、現在から振り返っても大したものだと思います。もっとも、キャンパスや近隣に遊ぶところがなくとも、学内で悪い虫はつきまくりなのだそうでしたが。

 東京理科大の研究・教育環境は私学としては悪くない部類でしょう。特に教育に関しては、成績や進級・卒業の厳しさが伝統、「レジャーランド」と呼ばれていた当時の一般的な大学生活とは無縁な大学教育を受けることができました。その教育が評価されていたから、就職実績も悪くなかったわけです。とはいえ、大学が好ましい進路へと圧力をかけるようなことはなく、ワタクシの同級生や先輩後輩たちは、実に多様な進路を選んでいます。公務員・教員・有名企業に就職し、それほど出世はしないけれども、地道に真面目に技術者や中堅研究者として職業人人生を全うする人が一定数いる一方、大学で熱心に学んで成績優秀なのに専攻と全然関係のない業界を選ぶ人も、海のものとも山のものともつかない起業に果敢にチャレンジする人も、医学部を再受験して医師になる人も、バンドマンになる人も。進路はさまざまでした。ヤフーの創業者である故・井上雅博氏も、理科大卒業生の一人です。井上氏は2017年に60歳で亡くなったのですが、早期リタイヤののち米国に住み、バイク事故で亡くなったとのこと。多くの人々が語る「真面目・不器用」な理科大らしさとは異なる理科大らしさを感じるエピソードです。卒業生の多様さは、学業については厳しいものの、指向性・思想・心情といったところを一切縛らない学風が生み出した最大の成果でしょう。

卒業生のヒイキ目ではなく、東京理科大は、教育・研究では大いに評価されるべき、誇るべきものを持っている大学だと思います。経営のエゲツなさも、大学が安定して存続できる基盤です。しかしながら、ワタクシはやはり釈然としないのです。遠隔地の大学に子どもを行かせられない親が多数いる疲弊した地域にキャンパスを作って、さらに地域が疲弊して大学経営が厳しくなったら、その疲弊した地域にケツを拭かせるようなやり方で良いのでしょうか?

1967年、千葉県野田市理工学部が設置されたとき、当時の理科大生たちは、アニメ「鉄人28号」のオープニングをパクって「野田の街にガオー …… びゅーんと飛んでく理科大理工学部」と歌っていたそうです。1980年ごろの理科大生の一部には、まだその歌が伝承されておりましたが、ワタクシ、全部は覚えていません。
商売上手でマーケティング上手なのは良いことです。自分の出身校が消滅したら、卒業生であるワタクシだって困ります。でも、日本のあちこちを理科大だらけにして、経営が厳しくなったケツは地域に拭いてもらって、理科大理科大どこへ行く?

願わくは、日本から世界から「びゅーんと飛んでけ理科大」と宇宙の果てに捨てられ、イスカンダルのスターシャさんにも見殺しにされるようなことになりませんように。