科学・政策と社会ニュースクリップ

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緊急メッセージ、未来の科学ために

 とりあえず、以下の文章を民主党に送りました。ご批判ご意見感謝です。


行政刷新会議で、科学技術関連予算が減額されたことについて、意見を述べさせていただきます。

まずはじめに、仕分け作業を私たち市民に開放し、リアルタイムで見ることができるようになったことを、高く評価いたします。

行政刷新会議の事業棚卸し仕分けに関して、科学技術予算の縮減、見直しという決定がなされたことを、深く受け止めています。

ご指摘の通り、昨今の厳しい財政事情の中、科学技術予算だけが「聖域」であるはずはなく、予算の効率的使用に関して厳しい目が向けられるのは当然です。

科学技術予算に関しても、特定研究者に集中した非効率な予算配分、使われない実験機器が購入されるという無駄使いといった、様々な問題点が指摘されてきました。今回の事業棚卸しにて、このような非効率な予算の配分を見直すべきであるという意見が出たのはまっとうなことであると考えます。

また、たとえすぐには利益をもたらさない研究予算であっても、その効果に対して厳しい目が向けられるのも当然です。国民の税金を使う以上、どのような成果がもたらされたのかを測り、分かりやすい言葉で説明することは不可欠なことです。

しかしながら、私は、仕分け作業が、現場の研究者に大きな失望を与えたことを、深く憂慮しています。

研究者たちは、今回の仕分け作業の結果を、短期的な利益がもたらされない純粋基礎科学研究は不要である、若手研究者に対する支援はいらない、というメッセージと受け取りました。もはや我が国では科学研究をすることが許されていないと考え、深く失望しています。

こうしたことが、日本の科学技術の将来に取り返しのつかない影響を与えたのではないかと危惧しています。

もちろん、科学者も反省しなければなりません。「科学技術創造立国」の掛け声のもと、科学技術予算が無条件で増額されることに慣れ切っており、いわばぬるま湯につかるように、研究の意義を社会に説明することを怠ってきたと言わざるを得ないのは事実です。

研究費が税金であることを忘れ、研究費を他の手段で得る努力が足りなかったと言えるでしょう。

そして、論文や特許といった、いわば「業界内」に向けた成果の発信こそ科学者の使命であると考え、一般市民が科学技術の情報を得る最大の情報源であるはずの新聞、雑誌、テレビ、書籍等のメディアへの情報発信を軽視ししてきたのも事実です。

国民の目線で科学を語ることを忘れ、国民の声を聞くことなく、狭い業界内でのみ通じる言葉で語ってきた科学者は、大いに反省すべきでしょう。

しかし、すぐには、あるいは永遠に、産業的に役立たない純粋科学研究が、社会にもたらした効果を軽視するのは問題ではないでしょうか。

生命や宇宙の謎を解き明かし、新しい知識をもたらしてくれる科学は、産業化はされないけれど、私たち人類がどこから来てどこへ行くのかという、いわば人類の根源的な問いを考える材料を提供してくれます。

純粋基礎科学は子供や若者の興味を喚起し、将来の科学技術を担う人材が、理工系の学問を志すきっかけを与えてくれます。鉱物資源、石油資源の乏しい我が国にとって、こうした人材が、たとえ純粋基礎科学研究を志さなくても、産業や教育といった分野を担う人材になります。


不況であり、人の生き死にや貧困問題の方が優先されるべき、というのはその通りです。産業に役立つ研究を優先させるべき、という声はもっともです。

しかし、すべての研究分野に研究者がいるのは、日本、アメリカ、ヨーロッパだけであると言われています。日本が基礎科学研究を行うことで、全人類が新たな知識を得ることができています。これは人類に対する大きな貢献、国際貢献と言えるのではないでしょうか。発展途上国から日本の科学研究が羨望の目で見られていることを忘れてはいけません。

純粋基礎科学研究を担う役割をやめる、というのも確かに国が取るべき選択肢の一つでしょう。産業応用だけに特化し、先進国の後を追い、製品化だけを考えるのも一つの方法です。

ただ、それは日本が先進国であることをやめる、いいかえれば、人類に対する貢献をやめるということでもあります。そして一度やめてしまったら、そこで人材は途絶え、もう一度復活させようにも長い時間がかなるでしょう。優れた人材は国外に流出し、他の国を潤すことになるでしょう。

それが日本の総意だとしたら従うしかありません。しかし、本当にそれでよいのか、国民とじっくり対話してから決定していただきたいと存じます。

金の卵を産む鵞鳥を、お腹がすいたからと言って食べてしまえば、もう金の卵は手に入らないのです。


財政難の中、いかにこの国を維持していくべきかを考え、大変苦渋の決断をされていることに対し、心より敬意を表します。

その上で、未来の科学、未来の日本、そして未来の人類がどうあるべきか、どこへ進むべきかということを考えた決断をされることを、心より祈念いたします。

追記

文部科学省に送ったショートバージョンです。

行政刷新会議で、科学技術関連予算が減額されたことについて、意見を述べさせていただきます。昨今の厳しい財政事情の中、科学技術予算だけが「聖域」であるはずはなく、予算の効率的使用に関して厳しい目が向けられるのは当然です。科学技術予算に関しても、特定研究者に集中した非効率な予算配分など様々な問題点が指摘されてきました。非効率な予算の配分を見直すべきであるという意見が出たのはまっとうなことであると考えます。また、たとえすぐには利益をもたらさない研究予算であっても、その効果に対して厳しい目が向けられるのも当然です。しかしながら、私は、仕分け作業が、現場の研究者に大きな失望を与えたことを、深く憂慮しています。こうしたことが、日本の科学技術の将来に取り返しのつかない影響を与えたのではないかと危惧しています。科学者も、「科学技術創造立国」の掛け声のもと、科学技術予算が無条件で増額されることに慣れ切っており、いわばぬるま湯につかるように、研究の意義を社会に説明することを怠ってきた点は反省すべきです。しかし、すぐには、あるいは永遠に、産業的に役立たない純粋科学研究が、社会にもたらした効果を軽視するのは問題ではないでしょうか。純粋基礎科学は子供や若者の興味を喚起し、将来の科学技術を担う人材が、理工系の学問を志すきっかけを与えてくれます。こうした人材が、たとえ純粋基礎科学研究を志さなくても、産業や教育といった分野を担う人材になります。日本が基礎科学研究を行うことで、全人類が新たな知識を得ることができています。これは人類に対する大きな貢献、国際貢献と言えるのではないでしょうか。純粋基礎科学研究を担う役割をやめる、ということは日本が先進国であることをやめ、人類に対する貢献をやめるということでもあります。そして一度やめてしまったら、復活させようにも長い時間がかなるでしょう。金の卵を産む鵞鳥を、お腹がすいたからと言って食べてしまえば、もう金の卵は手に入らないのです。その上で、未来の科学、未来の日本、そして未来の人類がどうあるべきか、どこへ進むべきかということを考えた決断をされることを、心より祈念いたします。