科学・政策と社会ニュースクリップ

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優秀なら仕事を見つけられる論に思う

本日もちょっと仕事が逼迫しているので、丁寧なレスができないけれど…

ポスドク問題を語るとよく言われるのが

「博士を出たくらい優秀なら、自分で道は見つけられる」

というもの。何度いわれたことか。


私は博士=優秀なんて思ってない。


「優秀」をどうとらえるのか、という問題だが、社会でやっていけるスキルと定義するのなら、優秀じゃない。


まあ、博士をマルチ能力の資格、と認識されているのなら、それはありがたいことではあるけれど…


優秀なら仕事は見つかる…確かにそういう面はあるだろう。そういう人は実際にいて、どの世界でも頭角をあらわす。それは心配していない。

ただ、能力はあるのにコミュニケーションやアピール力に欠けるとか、そういう人が生きる道があるといいのかなと思う。フューチャーラボラトリの橋本社長によると、そういう人は6割くらいだという(日経BTJジャーナル2007年7月号)。


具体的には、田中耕一さんみたいな人。田中さんは飛びきり優秀だから、あくまでみたいな、でとどめるが、エンジニアとか、一つのことに秀でた能力を持っているが、自分からその能力を生かす場を見つけられない人というのがいると思うl。

そういう人は、場が設定されれば生きる。場というのは、ある実験機材があるところだったりする。


実験機材というのはどこにでもあるわけじゃないから、それを見つけられなければ、能力が生かされないということになる。

#「優秀ならば仕事が見つかる」と言っている人は、機材に依存しない(自分自身のスキルに大きく依存する)お仕事をされている方が多いような気がする。


社会の視点からみれば、そういう能力を生かしたほうがいいんじゃない、と思う。適材適所ということ。

もちろん個人的視点からみれば、一つにこだわらず広く活躍の場所を求めたほうがいいんじゃないと思うが。

ポスドク問題は個人的対応と政策的社会的な対応をわけて考えたほうがいいと思う。



そういう人がとりあえず、門前払いをされず、せめて就職試験を受けられるようになることが、まずの目標。それ以降は個体差の問題。


城繁幸氏は、日本企業が博士を採用しない理由は年功序列だ、と言っている。
http://www.doblog.com/weblog/myblog/17090/2615701#2615701


だが、どんなに大学や学生の尻を蹴っ飛ばしても、企業という最大の受け皿自身が変わらなければ、現状が大きく変わることは無いだろう。


こういう社会慣行は、そうは変わらないと思うが、まずは博士はダメ、というイメージを変えたいわけで。

市場価値を高めるというか。とりあえずまずは「博士、いいね、会ってみようか」と言ってくれる社長さんが増えることを願う。


そののち「こいつつかえねーや」となってもいいけれど、博士だから使えない、じゃなくて、博士でも使える人もいればそうでない人もいる、というレベルにはなってほしい。


#もちろん他の資格とちがって「博士」をもっていたからどんな能力があるか、というのが見えにくいという問題もあるのだけれど。


とりあえず時間なので。ここまで。