ウェブ上でいくつか、ポスドクや博士の就職問題についての議論があったので、取り上げさせていただく。
2007.9.2 「『博士の生き方』5年目に入って考えていること」
奥井さんとは、一時御一緒に活動させていただいた時期もあったが、今は若干の方向性の違い、ということもあり、お互いの道を歩んでいる(別に仲違いしたというわけではありません)。
私自身もよく犯す間違いですし、ポスドク問題や大学院関係の問題に関していうと他所のブログのコメント欄やシンポジムにおけるパネリストなどもよく犯している間違いで一般的にそういうものなのかもしれませんが、新しい問題に対処するときに「自分自身のこれまでの経験というフィルターで解釈し、課題への解決を考える」ということがあります。私自身、このホームページに関しても仕事に関しても、あとで自分のしでかしたことを後悔することはしばしばあります。
非常に同感する。奥井さんは工学系の出身、私は理学系(いまは医学系)のバックグラウンドを持ち、博士やポスドク問題のとらえ方も違った。それがお互いの道を歩むことへとつながったと思うのだが、様々な議論ではそれを意識しないといけないと思う。
教育論議が得てして経験で語られるのは、以下の本にも指摘がある。
- 作者: 岡本薫
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2006/01/19
- メディア: 新書
- 購入: 1人 クリック: 10回
- この商品を含むブログ (51件) を見る
- 作者: 苅谷剛彦
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2002/01
- メディア: 新書
- 購入: 8人 クリック: 29回
- この商品を含むブログ (50件) を見る
奥井さんの深い考えには学ばせていただくことが多い。今後機会があればまた何かで御一緒させていただけたらと思う。
参考:奥井さんのかかれた記事
【化 学】2007年10月号
提 言
博士学生のキャリアパスを考える
──その多様化と選択に必要なこと ●奥井隆雄
アカデミアへの進路の固定はどうしてなのか(うすっぺら日記)
博士がどうしてアカデミアに固執するのか、その理由を考察している。ネイチャーのキャリアセミナーや生化学若い研究者の会で話したような、私の考えと重なるものが多い。
『アカデミアの世界の体系に深く影響されて、優劣の価値観が単一化した印象が強い。科学と世俗、勝ち組と負け組という二極化のイメージもいつの間にか確固たる物として形成された。また、他者比較、自己顕示欲などにより、嫉妬心と焦燥感も視野を狭める原因となった。また他者からのアドバイスも研究の問題解決に限られ、多様なキャリアパスを考慮する機会は学部から博士までほとんどなかった。』
鋭い考察だ。
それを甘い、と言うのは容易い。ただ、そういう意識があることを認めないと、「ロバを水場までつれてくることはできるが、水を飲ませることはできない」ということになる。
私は、そういう意識を無理に殺すことはないと考えている。それと同時に、今までのキャリアを無駄にしない進路として、科学コミュニケーターという役割を考えている。以下先週号のメルマガから。
■去る9月7日、NPG ネイチャーアジア・パシフィック主催のセミナーで講演させていた
だいた。
■当初御講演される方がキャンセルされた、ということで、急遽のピンチヒッターでの
登板ではあったが、講演した私自身、非常にさまざまなものを得ることができた。
■あいにくの台風直撃ということで、当初の申込者より大幅に少ない参加者の方々を前
に、私は「研究者の多角的なキャリアパス提案」というお題を頂き、自分の体験を交え
お話させていただいた。
■昨今の大学院生、ポスドクを取り巻く現状を概観したあと、私たちが昨年出版した
「失敗しない大学院進学ガイド」でご紹介した、多彩なキャリアを歩む方々の実例
をご紹介させていただいた。
■今回のセミナーで私が強調したことは、「夢の諦め方」についてである。
■昨今の厳しい雇用情勢を考えれば、職種を選んでいる余裕はないというのはある程度
その通りだと思う。しかし、長年やってきたことを諦められないのは、ある意味理解で
きる。
■そこで私は、以前ブログに書いたように、たとえ直接的には今までやってきたこ
とと無関係な職に就いたとしても、余暇などを利用して、科学コミュニケーションや理
科教育に関する活動に携わることができれば、今までの研究歴は生かせると同時に、一
般市民や子供たちの科学の関心への関心を高めることにもつながるのではないかと述べ
た。
■これはキャリア問題の本質的解決法ではないかもしれない。しかし、夢を諦めるとい
うのは、たとえ甘え、贅沢といわれたとしても、苦しい作業には違いない。それを無視
してはキャリアの転換は考えられない。
■こうした心の動きを見つめ、それを社会のためにも役立てる方法として、少々アクロ
バティックではあるが、「草の根」の科学コミュニケーションがふさわしいのではない
かと思っている。