科学・政策と社会ニュースクリップ

科学政策や科学コミュニケーション等の情報をクリップしていきます。

東大文学部に博士が少ない理由

 今週の週刊新潮になかなか面白い記事が出ていました。

 『「小谷野敦」がブログで暴いた東大文学部には「博士が少ない」』という記事です。

 小谷野氏のはてな日記「猫を償うに猫をもってせよ」の8月17日の記事「東大文学部白書」を紹介していて、博士号ない人が若い人たちに博士論文を死ぬ思いして書かせている矛盾をついています。

 日記には続きもあって、8月22日の駒場白書
では、教養学部の教員の博士号取得者もさらしています。

 文系に博士号取得者が少ないのには、博士号の意味が最近まで理系の私たちとは異なっていたことに理由があります。

 文部科学省 学術審議会が2005年に出した答申「新時代の大学院教育−国際的に魅力ある大学院教育の構築に向けて−答申」から、その理由を探ってみます。

 人社系大学院の目的とそれに沿った教育研究の在り方についてには、以下の記載があります。

人社系大学院の博士課程においては、従来、教員養成分野を除いて、その前期・後期を通じ、研究者を養成することを基本に大学院教育を行ってきた。
 最近では、以下のように、様々な事情から大学院に多様な学生が進学し、特に博士課程(前期)について、学生が求める教育機能が多様化しつつある。
社会学分野の博士課程(前期)では、社会調査士の資格取得を目指す学生が多い。
・ 心理学分野において、修士の学位は臨床心理士の資格取得に不可欠となっている。
・ 教員養成分野の修士課程は現職の教員の再教育機能を、また、近年設置された教員養成分野の博士課程は、大学教員の養成機能を期待されている。
・ 経済学分野では、多様な動機の下に様々な学生が進学することから、これに対応した教育機能の整備が期待されている。


 ○  このため、区分制博士課程では、当面、同一専攻の中で、博士課程の前期・後期を通じた研究者養成プログラムと、博士課程(前期)を終えた段階で就職する学生のための高度専門職業人養成プログラムを併せ持つなどの工夫が必要である。


 ○  研究者養成プログラムでは、将来、それぞれの専門領域において研究者として自立できるだけの幅広い専門的知識と、様々な研究手法(研究に必要なフィールドワークや文献調査のデザイン等)や研究遂行能力、更には専門分野を超える幅広い視野を修得させる必要がある。
 その場合、5年一貫制博士課程のみならず、区分制博士課程においても、その前期・後期を通じて一貫した体系的な教育課程を編成することが求められる。

人社系大学院における教育・研究指導には、これまで、ややもすると学生の教育がそれぞれ特定の研究室の担当教員による個人的な指導に過度に依存する傾向も見られた。しかし、先に示したように各課程の目的と教育内容を明確にしつつ、教育・研究指導を実効性あるものにするためには、各専攻において授業内容を体系的に編成するなど、組織的に教育を計画することが求められる。

博士課程の学生の大学院における学修の集大成は博士論文の作成であることを踏まえ、博士課程(前期)の修了時においては、修士論文作成による過度の負担を軽減しつつ、5年間の教育が有機的につながりをもって行われることが求められる。

課程の修了に必要な単位は修得したが、標準修業年限内に博士論文を提出せずに退学したことを、いわゆる「満期退学」又は「単位取得後退学」と呼称し、制度的な裏付けがあるかのような取扱いは、課程制大学院の本来の趣旨にかんがみると適切ではない。今後、課程制大学院の趣旨の徹底を図り、自立した研究者として一定の能力を備えていると認められる者を厳格に認定し、認定された者に対しては積極的に学位を授与することを通じ、学位の質を維持しながら、このような取扱いを順次解消していくよう関係者に促すことが必要である。

 まとめますと、従来は研究者養成のための徒弟制でやってきたけれど、入学者が多様化しているので、博士号をきちんととらせる方向にいきましょう、ということです。

 ということは、以前は研究者は博士号をとらなかったわけですね。

 では、なんで博士号をとらなかったのでしょうか?

 人文・社会科学系大学院における研究者養成と博士学位̶変遷・現状・課題̶に詳しく考察されていますが、人文社会系の博士号は、「すでに博士課程を修了し,相当の研究上のキャリアを積んだいわゆる碩学泰斗に対して与えられる場合が多」く、制度が変わっても*1固定観念は暫くゆるがず、それゆえ、博士号取得者が少ないとのことです。

 なんで「威信」から「自立の証明」になったのか、という理由は、アメリカの影響などもあり、一言では語れないのでしょう。

 ともかく、今の教員は、過渡期の人たちですから、博士号をもっていない人が混ざるわけです。

 まあ、博士号というのは、一口に語れないほどさまざまな問題を内包しており、それゆえポスドク問題も、簡単には解決できないのでしょう。

*1:具体的には1974年に改正された大学院設置基準において、「『威信』としての博士学位から『自立の証明』としてのそれへの制度的保障」が与えられ」たとのこと