科学・政策と社会ニュースクリップ

科学政策や科学コミュニケーション等の情報をクリップしていきます。

与党的NPO

 月末までに、某所から依頼された原稿を書かなければならないが、結構四苦八苦している。

 内容は科学技術政策とNPOについて。

 このテーマに関しては何度か述べてきた(科学政策とNPO科学議員を探せ)。科学技術白書などでも、NPOなど国民の声を取り入れて科学技術政策を決定すべき、ということが何度か触れられている。

 ところが、そういった政策に何かをいうNPOというのは極めて限られているのが今の日本の現状のように思う。原子力環境政策など、科学政策に近接する分野ではもう少しNPOの声を取り入れるということが行われているようだが、私たちの関心事である若手研究者育成だとか、多彩なキャリアだとか、研究の不正防止対策だとかでは、まだまだそういう動きは乏しい。

 科学技術を外側から眺めることの重要性を指摘する声は多い。

 岩波「科学」の2001年12月号で、天文学者である戎崎俊一氏は次のように述べている。

というわけで、特に政府が関与する問題について、科学が本来持つ自動訂正システムを機能させるには、政府から独立した科学者集団が必要だ。それはどうやったらできるのか。
 私は、それを実現する素地は整いつつあると考える。それは、博士課程取得者の激増と現在進行中の大学の独立法人改革である。まず、この10年で主要な国立大学は「大学院重点化」の掛け声のもとに、博士課程定員の数をほぼ倍増させた。これによる学生の質の低下を愁う声が大学人から聞こえる。実際、この従来の2倍の勢いで生産される博士たちの半分は従来のいわゆる「研究職」を得るのは難しい。

 この職にあぶれる科学者たちは何をして食っていくのか。ファーストフードの定員?タクシー運転手?それもいいだろう。もしかするとそれよりもよい選択は、科学者を必要とする市民たちのために働くことであるかもしれない。市民に最先端の科学を分かりやすく説明する、さまざまな問題について科学者としての判断を伝え、体制側の判断を厳しくチェックする、などだ。

 彼らは、象牙の塔を出て、ジャーナリズムや市民団体、科学館などに職を求めなければならぬ。社会のほうも、ほんとうに科学者が必要なら、それなりの給料を用意して温かく迎えて欲しい。科学者は理屈っぽく、議論好きで、攻撃的でさえある。コミュニティの中で軋轢をおこしやすいが、それはその職業上仕方がないところもあるのだ。

(中略)

 特に科学者を育てるにも科学を推進するにも金がかかる。科学者は、その青春の大部分を費やして、「科学の方法」と専門分野の知識を身につける。市民はその努力に応える対応を用意すべきだ。

 科学に期待する人は、それに対する対価を用意しなければならない。その目的に共鳴する科学者なら、そう多くは要求しないはずだ。

(引用終わり:文責は私にあります)

クローン羊の衝撃(岩波ブックレット No.441)で米本昌平氏もこう述べている。

 情報化社会の理想は、多様で正確な情報が、いつでも、自由に手に入れられることなのだが、日本の現実はそれからはるか遠い状態にある。メディアがメディアを引用し、ネタ元が同じと思われる情報が、大量に表層を流れているだけである。落ち着いてわれわれの到達点を点検し、将来にむけて考察をめぐらすためには、個々人が切実に必要と思ったときに、ハードな科学情報が有用な形で入手できないといけない。そのための供給システムは、古臭い「科学啓蒙」のイデオロギーから抜け出していなくてはならない。専門家だからという理由で、利害当事者である科学者に情報を汲み出す作業をまかせきるのではなく、科学研究に共感をもちながらも、これを突き放した中立的な視点から科学論文を読みとく読み手を、社会の側が確保することがぜひとも必要である。そして正確で、公平で、安定した自然の姿がわれわれの間で共有された後、そこに共通の意味体系もおのずと浮かびあがってくるのであろう。
 

 日本で科学政策を扱うNPOがいくつあるのかまず調べたい。それと同時に、欧米、とくに欧州の現状をみてみたい。

 とくに例として注目したいのが、ポスドクや大学院生のつくるNPOだ。こうしたNPOが活発にロビー活動を行い、若手研究者育成などについて影響を与えている(ように見える)。このあたり、実際はどうなのか調べたい。

 以上を踏まえ、日本で科学技術政策を扱うNPOができ、それが政策に影響力を与えるためにどうなればよいかを考えてみたい。

 というのがアウトライン。

 最近思うのは、政策に影響を与えるということは、政策を批判するだけでなく、逆に批判を受ける立場に自らをおくということだ。これは、いわば自らを与党の立場におくということだ。

 野党的な立場はある種らくだ。批判だけしていればよいわけで、具体案を提示する必要はない。

 もちろん、政策立案能力は圧倒的に官僚の方が能力や情報を持っているわけで、たかだか余暇でやっているようなNPOに何ができるのか、と言われるかもしれない。

 しかし、NPOは市民や若手研究者など、ある集団の関心や要望を集約することができる。トップダウンでは身落ちしがちな、ニッチのニーズを捉えるのが得意だ。

 トップダウンボトムアップが合わさり、よりよい政策の実現を目指す。批判を乗り越えて提案をしていく。こうしたNPOが日本社会に根付くことができるのか。

 私たちとしても自らのNPOを用い、追求していきたい。