科学・政策と社会ニュースクリップ

科学政策や科学コミュニケーション等の情報をクリップしていきます。

北大より帰神、そして神戸でカフェ

 怒涛のような北大CoSTEP発表会から神戸に帰ってきた。

 暴風雪の可能性があるということで、どうなるか心配したが、なんとか避けられたようだ。

 北大ではいろいろな刺激を受けた。以下2日目の様子を。

 Gert Balling さんの話からは、カフェを効果的に行う秘訣を学ぶことができた。

 参加者に名前を書かせない(匿名性の重要性)とか、ひとつの課題に複数の専門家とか、全員に発言させるとか、一人に長く話させないとか、ウェブページでフォローするとか、TVの撮影や発言の引用を禁止するとか、具体的な運営方法を伺うことができた。双方向性を担保するための場の設計の重要性を痛感した。その際ファシリテータがいかに場をコントロールするかがカフェを左右するのだなと思った。

 パネルディスカッションでは、NHKの山口アナの発言が刺激的だった。偶然にも私の出身高校の先輩でもある山口さんだが、発言は明快だ。日本科学未来館池内了氏の「禁断の科学」には会場を貸さなくて、ゲノムプロジェクトのサイエンスゼロには貸したということを、未来館の副館長の美馬さんの横で言うのだからすごい。

 山口さんは、科学コミュニケーターはマスコミが扱わない話題や20名くらいの人を対象にしたらいいとおっしゃっていたが、同感だ。今回の会を通して考えたが、科学コミュニケーションは声の届く範囲で行うべきだし、マスメディアが扱わない話題を扱うべきだと思う。これは、まさにNPOと同じで、行政が捉えきれないニーズを拾えるのがNPOだ、という位置づけだから、科学コミュニケーションも、今まで省みられてなかったニーズを拾うことができたら、存在意義や価値が出てくると思う。

 あと、山口さんが繰り返し問われていたが、科学コミュニケーションはいったい誰が何のために行うか、ということを意識することも重要だ。

 前日に本間典子さんが話されたリバネスは、「バイオ振興」と言明していて、非常に潔かった。北大CoSTEPの人たちの発表も、科学は普及しなければならない、理科離れはいけない、という点が暗黙の前提となっていて、そこに意義を唱える人はあまりいない。

 しかし、その前提を問うことも重要だ。もちろん科学相対主義みたいなもの主張する気はさらさらないが、科学=善といったイメージだけでは科学は語れないことは、意識しておくべきことだと思う。

 今回、北大に行って、サイコムジャパンや自分自身が何をすべきかが見えてきたし、科学コミュニケーションとはいったい何かという点も見えてきた。サイコムジャパンに戻って、今回の会で得たことをぜひ皆で議論してみたいと思う。


 さて、本日(3月18日)は、神戸大学主催のサイエンスカフェ「これからの科学者」 に参加した。

 元町の普通の喫茶店で開かれたこのカフェでは、現代の科学者の何が問題で、これからの科学者はどうすればよいかという点について、議論が交わされた。

 非常に刺激的な話で、行った甲斐があったが、ややフラストレーションも感じた。

 講師の先生が壁際にずらっと並んでいたこと、少数の人が何度も発言していたこと、司会の先生や関係者の人がしゃべりすぎな点はちょっと改善してほしいかなと思う。

 一部議論の内容を書く。

 議論のなかでは、科学者の倫理の話などが出てきたが、その際、アインシュタインの例が多く出て、科学者が倫理観を高めなければならない、という方向に行ってしまった。

 倫理は重要だし、前提なのかも知れないが、現在のようなサラリーマン化した研究者が多いなかで、アインシュタイン湯川秀樹のような天才巨人が科学をリードすることは想定しがたいのが現代なのではないかなと思う。個々の研究者はよかれと思って研究していても、全体として、社会に不利益をもたらす可能性がある。また、サラリーマンだから、これはおかしいぞ、と思ったとしても、組織に意見を言いにくいのではないか。

 そういう事実を認識した上で、どうするのか、という点を考えて議論しないと、なんでも個人の倫理の責任になってしまい、実効性のある解決策を考えるきっかけを失ってしまうように思う。個人の倫理観に従っても、不利益をこうむることがない環境をつくるなど、考えるべきことはたくさんある。

 このように、いろいろ考えさせられる話題を聴くことができ、刺激的な夜をすごすことができた。

 多少改善すべき点があるな、とは思うものの、こうしたカフェが歩いていける街中にあるというのは、ちょっといいな、と思った。

 地域に溶け込んださりげない場所でカフェが開かれたら、そして行きたい時にふらっと立ち寄れたら、かなり面白いカフェになるのではないか。


 というわけで、科学コミュニケーションを考えさせられる3日間だった。