科学・政策と社会ニュースクリップ

科学政策や科学コミュニケーション等の情報をクリップしていきます。

ブログでなくても

 本当はデジタルデバイドやネットの危険性に対してどうすべきか、ということを書こうと思ったが、またもやアウトリーチのことを書く。

 まず「アウトリーチ」という言葉に関して。

 アウトリーチとは何か、あまり定義しないで使ってしまったようで申し訳ない。昨年の科学技術白書に定義が書いてあったが、PDFファイルなので、その他の資料をぐぐってみた。

研究者によるアウトリーチ活動の効率的な推進にむけて
http://www.mri.co.jp/COLUMN/TODAY/SHINOZAKI/2005/1004ST.html

アウトリーチ活動という表現をご存知だろうか?アウトリーチ(outreach)とは「手を伸ばすこと」、「対象者のすそ野を広げる」という語義である。
研究者によるアウトリーチ活動とは、研究者と国民との双方向コミュニケーションに資するような活動(例えば研究者による国民への直接の教育・指導、研究者と国民との対話等)である。また広義では、一方向の情報発信が主と考えられる広報活動(例えばパンフレットや映像資料の配布、ホームページ等)も含まれるといえる。

 アウトリーチ活動をブログに限定する理由はない。ほかの手段があるのだったら、そちらを使えばよいだけ。ただ、ブログにしろなんにしろ、「双方向コミュニケーション」が重要なわけだ。だったら、ブログを使ってもいいのでは、という思いは変わらない。

 で、問題はブログか否かではなくて、その中身なのだが、つぶやきおやじさんは

たとえ内容をかみ砕いて紹介したとしても、個々の研究者のやっていることなどは重箱の隅をつつくような小さなことであることが多いと思います。よっぽどのマニアを除くとそういうことを知りたいと思う人がそんなにいるとはとても思えません。

さらにそうして埋められた非常に狭い領域しか扱っていない研究ブログを喜んで読んでくれる読者などほとんどいないと断言できます。そういうものがもし存在し得たとして、敢えて読者を想定すると、当の研究室の学生だけではないでしょうか。

 と言われている。確かにそういう面はあるかもしれない。けれど、そこでとどまっていいのだろうか。

 恐ろしいことを言ってしまえば、数人しか分からない研究をしていることが、社会に認められるのか、という問題が出てくる。税金を投入して、同業者との間にしか分からないし話題にもならないことをやってもいいのだろうか、という疑問だ。

 研究のアウトリーチの話が出てきたのは、もっと言ってしまえば今の科学コミュニケーションブームがあるのは、研究者が自分や同業者の世界に閉じこもってしまったことが原因だったのではないか。税金を使って研究する人たちへの厳しい社会の目が、科学コミュニケーションの必要性を政府や研究者に認識させたのではないのか。

 自分の研究を書いたって、分かってくれるはずはない、という段階はもう終わろうとしているように思う。分からせないといけないのではないか。分からせられないのなら、興味をもたせないといけないのではないか。

 重箱の隅をつつく研究をどうしてやっているのか、何が魅力なのか。マニアックだから人が読まないということはないと思う。マニアックだって魅力的に書けば人は読んでくれるのではないかと思う。

 また、少人数でもニーズがあるのなら、書いてもいいのではないか。ブログはマスメディアでないので、マイノリティ(たとえばまれな疾患の患者さんとか)の人たちが交流するのに使えるかも知れない。

 研究者のブログで既に研究の様子が書かれているというが、確かにその通りだと思う。研究者の日記などは昔からちらほら読んだりしていたし、自分でも書いていた。けれど、まだ物足りない。工夫次第でもっと研究の魅力や面白さが書けるのではないか。

 ともかくブログでなくても、他の手段でも(デジタルデバイドを考えたら他の手段のほうが重要かもしれない)、研究者と市民の双方向コミュニケーションが重要だというのは共通認識だ。ブログという手段にこだわらず、逆に無理にブログを排除せず、いろいろな手段を考えて、双方向コミュニケーションを実現していきたい。